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このページは2005年6月26日〜7月9日の日記です。

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2005年7月9日(土)

レトロなニセコ駅の前で

ニセコへ到着して早くも6日目となった。毎日、書きたいことは山ほどあったが、なにしろ何年もこちらに来なかったため、予期せぬ雑事に次々と追われ、日記まで手がまわらなかった。日記を楽しみにしていてくださった読者の方々には、本当に申し訳なく心からお詫びしたい。

ニセコの我が家に着いた日は、4日の日記でお伝えしたように、ご近所のプチ・ホテル「ノース・フィールド」のオーナーさんご夫妻と従業員の方々にバーベキューパーティーで大歓迎をしていただいた。でも実は、我が家はとうてい普通に生活ができる状態ではなかった。6月から外装や内装のメインテナンス工事が始まっており、こちらに到着する頃には、その工事はほぼ終わっている予定であった。ところが実際はというと、家の周囲は屋根まで鉄パイプの足場が組まれ、家の中にも同様の足場が! リビングが吹き抜けになっているために、天井まで6メーターのその空間が、背の高いジャングルジムのようになっていたのだ。

リビングのソファー等の応接セットはダイニングのスペースに移動されているし、床には汚れ防止用のシートが敷き詰められている。二階の書斎や寝室に行こうにも、腰をかがめて鉄パイプの柵をくぐり抜けないと、たどり着けない。自分ではすごく注意しているつもりだったが、何度も鉄パイプに頭をぶつけて、そのたびに「ウーッ」とうなってしまった。

でも、こんなことになるのもあまりに長年留守にした罪ほろぼしね。工事はじきに終わるんですもの。私は、そう考え直し、家の外と内がきれいになったときのことを想像して、今の状態を楽しむことに決めた。そして、やっと家の中のジャングルジムに慣れていたところで、昨日、リビングの足場だけは撤去された。

さて今日は、夕方になってからちょっとドライブ。ニセコ駅構内にある小さなレストラン「茶房・ヌプリ」に立ち寄った。ニセコ駅はなんともレトロな雰囲気の小さな駅。お花などが飾られ、一見、JRの駅には思えない可愛らしさがある。電車が来ない間は改札も開けっ放しで、自由にプラットホームに出入りできるのどかさだ。

そのヌプリというレストランも同様にレトロなムード。オーナーさんがアンティーク時計のコレクターなのか、壁に10数個の古い振り子時計が掛かっていて、そのどれもが違う時間を指して、止まっている。そのせいか、なんだか時間を忘れさせるような不思議なムードがある。このレストランのテーブルがまた面白い。何とテーブルの足が昔の足踏みミシンなのだ。でも、椅子に腰掛け、その足踏みの部分に自分の足を乗せると、けっこう収まりがいいのよね。

このレストランは以前に入ったとき、カレーが美味しかった記憶があるので、「季節の野菜カレー」を注文した。ルーはハヤシライスに近いお味で、炒めた輪切りのナスやグリーンアスパラ、シメジ、カラーピーマンなどが、これでもかというくらいにたくさん盛られ、なかなかオリジナリティーのあるカレーライス。もちろんお味もけっこう良くて、幸せなひとときになった。

2005年7月4日(月)

フェリーとは言え、ちょっとした船旅気分が味わえる

フェリーは予定通り午前10時45分に苫小牧に到着した。このフェリー「きそ」の話をちょっとしよう。昨日の日記にも書いたが、「きそ」は今年の1月に就航したばかりの新造船。今までに乗ったフェリーに比べると格段に良い船で、個室にしてもラウンジやレストランにしても、乗客がゆったりくつろげるような工夫が随所に見られる。船自体が大きいためか、ゆとりがあって、時間が穏やかにゆっくり流れているようにも感じた。まだサマーバカンスには早い時期なので、過去の経験から乗客数はそんなに多くないのではと想像していたが、なんと満席! それでも人がワサワサしているような煩わしさはなかった。

船のほんの少しの揺れが揺りかごの役目をしてくれたのか、午後9時過ぎに眠りについて、目覚めたのが朝の4時過ぎ。カーテンを開け放つと目の前に穏やかな朝の海が広がっていた。何だかとても気分がいい。飛行機でひとっ飛びに北海道に渡るのもスピーディーで便利だが、たまには、船でゆったりのんびり移動すると、不思議に心が安らぐ。海やフェリーには、一種の癒しの効果があるのかもしれない。

下船してからはまた車に乗ってニセコへ。緑あふれるニセコの景色を目の当たりにしたときは、思わず涙がにじむほど懐かしく嬉しかった。天候が悪く、どんより曇って風も強く、山々は雲に覆われていたが、羊蹄山がほんの数分だけ、姿を見せてくれた。山が私を歓迎してくれたんだと、都合良く考えることにした。

ところで私の家の近くには「ノース・フィールド」というプチホテルがあるのだが、夕方、そこのオーナーさんご夫妻から、嬉しいお誘いがあった。何とバーベキューをしてくださるという。このご夫妻には以前、私がニセコにしばしば滞在したときに、まるで身内のように親しくお付き合いしていただいて、ずいぶんお世話になったのだ。

ノース・フィールドの皆様と、久しぶりにいただいたバーベキュー、ほんとにゴージャスで美味しかった。お肉もお野菜も魚介も種類が多くて、食べきれない。みんなでワイワイ幸せいっぱいでいただいた。このバーベキュー、お客様のご希望も多く、評判もとてもいいようだ。

さあ、明日はどう過ごそうかしら? せっかくのニセコ、部屋にこもりきりで仕事なんてことがないように、大いに自然を楽しまなければ!

プチホテル「ノースフィールド」のみなさん
左:オーナーの赤倉さん、私の右隣り:奥様、右下:長男さん

2005年7月3日(日)

ニセコの家から一望できる羊蹄山

日記を朝方に書くというのは変なものだが、今日は特別な理由がある。というのは、今夜、日記を書いても、それをアップできない事情があるのね。

この二日間の日記を読んでくさった読者の方には、もうお分かりのとおり、今日は、ニセコに向けて東京を発つ。行き方としては、羽田→千歳の飛行便が一番手っ取り早いが、私の場合、仕事に使う参考書籍や資料などを大量に持ち込むので、どうしてもクルマとフェリーのお世話にならざるを得ない。

フェリーは、茨城県の大洗港→苫小牧の東日本フェリー、仙台→苫小牧の太平洋フェリー、新潟→小樽の新日本海フェリーの3便があり、普通なら東京に一番近い大洗→苫小牧のコースを選ぶのだが、今回はあえて仙台→苫小牧のコースを選んだ。

東京→仙台、約450キロ、途中休憩時間を入れると6時間程度かかると思われる。これほどの時間をさいても仙台にこだわったのは、太平洋フェリーの「Kiso」という船が今年の1月に就航した新造船だからだ。「新」とつくと、好奇心がうずいて、どうにもたまらない私。さっそく乗船体験者の声をネットでチェックしてみると、すごく評判がいいじゃないの! こうなると、どうしても自分自身で体験したいという欲求が高まりに高まって、遠いことなど何のそので、仙台→苫小牧までのチケットをネットで申し込んだ。ただ、残念なのは、冒頭にも書いたが、船上からはインターネット接続ができないことね。

仙台港からの出航は夜8時。約15時間の船旅だ。苫小牧には明日の午前10時45分に到着する。苫小牧から陸路ニセコまでは2時間弱だから、午後1時から2時の間には懐かしいニセコの我が家に到着する予定。まるで富士山の子供のような美しい羊蹄山(ようていざん)が、きっと「お帰り! よく帰ってきたね」と私を迎えてくれるだろう。

2005年7月2日(土)

第二の故郷 「ニセコ」 は今いかに……

昨日の日記で明かしたように、私は明日ニセコに向けて発つ。途中、数日間はTV番組収録のために東京に戻るが、7月末までの約1ヶ月間はニセコに滞在する予定だ。したがって、この日記でもニセコの日常を紹介することが増えると思うので、今日はニセコについて書いておこう。

「ニセコ」って、いかにも北海道らしい響きを持った地名ね。この地名はアイヌ語に由来していて、ニセコ町にある山、ニセコアンヌプリからとられたとのこと。アイヌ語で深山にあって川岸にかぶさるようにして出ている崖、懸崖、絶壁の意味だそうだ。

ニセコはどの辺りにあるかというと、北海道の南西部に位置し、「ニセコ積丹小樽国定公園」の一角を占めている。札幌からだと、西100キロのところに位置する。東に国立公園羊蹄山(1898m)、北に国定公園ニセコアンヌプリ(1309m)の山岳に囲まれ、ゆるやかな傾斜が多い丘陵地帯で、中央には有名な尻別川が流れ、これに昆布川、ニセコアンベツ川、真狩川などの川が集まっている。

気候は内陸的で、平均気温は摂氏7.4度と言われているが、12月から3月までは−5度から−3度の極寒の地で、積雪は2メートルにもなる。夏場の気温は、まれには30度近いことがあるが、ほとんど23度前後と涼しい。つまり、私のように寒さには強いが、暑さにはめっぽう弱いという体質の人にとっては、まさに有り難い土地柄なのよね。

ところで、ニセコを有名にしたのは、その雪質とスキー場の存在。ニセコの雪は北海道の中で最も水分の少ない、いわゆる「パウダースノー」と言われる雪で、衣服についても手ではたけば、簡単にとれてしまう。雪の玉をつくろうと握ってみても、ほとんど固まらないほどサラサラ。だから、どんなに雪が降っていても傘をさして歩く人など、まず見かけない。

このパウダースノー、スキーをしない私にはよくわからないが、スキーヤーにとっては素晴らしい滑り心地だそうだ。そのためだろう、10年くらいまで前は、冬のニセコはスキーツアー客でごった返すほど賑わいを見せていた。ところがその後、スキーブームが衰退し、スキー客が激減。ニセコはまさに閑古鳥が鳴く状況に追いつめられてしまった。

でも、わからないものね。今、ニセコは全国の市町村から熱い視線を浴びる存在になっている。スキー人口が減り、日本人の観光客が少なくなったのと入れ替わりに、オーストラリアからのスキーヤーや観光客が年々増え続けているそうだ。これは、一人のオーストラリア人の青年が、ニセコに魅せられ、夏、冬ともに楽しめる観光事業を起こしたのがきっかけだった。

特に冬場のニセコは「オーストラリア村」とまで言われるほど、オーストラリア人が大挙して訪れるようになったそうだ。それに併せて、オーストラリアからの資本もどんどん流入しはじめ、新しいコンドミニアムやコテージの建設、スキー場のリニューアル、ショッピングモールの計画など、ニセコはにわかに活気づいてきているという。

私は長いことニセコに行くことができなかったので、この地域が変貌していく過程を何年もの間、見ずに過ごしてしまった。でも、それだけに今回の滞在で、ニセコの変化が、はっきりと実感できるのではないかと期待している。その様子をこの日記でもお伝えしたいと思う。

2005年7月1日(金)

14年前、私はこの大木に魅せられて、ここに家を建てることを決めた。
以来、この大木に、「ジュピター」と名をつけ、心を通わせている。

この日記の中で、「ニセコ」のことをたびたび書きながら、ニセコと私の関係を説明してこなかったので、今日はそのことを記しておきたい。

実は、私にとってニセコは「第二の故郷」と言ってもよい存在だ。でも、私はニセコで生まれたわけでも、育ったわけでもないから、「第二の故郷」というのは私の思いがそこにあるという意味なのよね。

話せば長くなるので、かいつまんで話すと、そう、今から14年ほど前の夏、まだ母が元気だった頃のことだ。私は母とともに休暇を過ごせる静かな場所を探していた。できれば涼しい……そうだ、北海道にしよう!と直感的に思った。そこで、北海道出身の編集者に訊ねたところ、ニセコの貸別荘で過ごしたらどうかとおっしゃって、パンフレットを取り寄せてくださった。

私はなんだかとても嬉しくて、母と一緒にそれまで縁もゆかりもなかったニセコにさっそく向かった。飛行機と列車を乗り継いでやっと到着したニセコは、羊蹄山が一望できる素晴らしい一帯。そこには自然の地形を生かして開発された一大別荘地があって、その中にあるログハウスが貸別荘になっていた。ゆるやかに傾斜するその別荘地の地形に、私はすっかり夢中になってしまった。当時はまだ別荘の数が少なく、土地を購入することも可能だという。私の頭の中は、母と休暇を過ごす家を建てたいという思いでいっぱいになってしまった。私の目にはニセコがあまり魅力的に見えて、東京とはかなり離れていることなど、どうでもいいとさえ思えた。

そこで、いろいろと土地を見せてもらい、樹齢数百年はあろうかと思われる、三本の大木がある場所が一番気に入った。私は後先も考えずに、即、土地購入の契約を結び、翌年に家を建てた。母がゆっくりできる部屋は一階に決め、母が大好きな色である淡いパープルの壁紙を貼り、同色の絨毯を敷き詰めてもらった。私の書斎と寝室は二階にした。ログハウスが一番似合うような土地柄だが、私は洋館風のデザインにした。

ところが、家が完成して、いよいよ母に来てもらおうと思っている矢先に、母は骨粗鬆症のために背骨の下部を骨折。遠いニセコまではとうてい無理ということになってしまった。おまけに母は、両眼の緑内障が進行して、目で楽しむ歓びまで次第に奪われ始めていたのだ。

母と過ごすことばかりを想い描いて建てた家。これでは何のために建てたのかわからない。とにかく、一度だけでもいいから母を連れて行きたい。母にゆっくりとニセコの部屋でくつろいで欲しい。医師には長時間の旅は厳禁だと言われているが、何とかならないものだろうか……ただひたすら、そのことばかりを考え続けた。でもやがて、それは私の身勝手な願いであることに気づき、以来、私は母をニセコに連れて行くことを諦めた。

当時、札幌テレビの「どさんこワイド」という番組にレギュラー出演していた関係もあり、私は家を建ててから約7年間は、東京とニセコを行ったり来たりしていた。その間に、自然に友人知人が増え、ニセコはまさに「第二の故郷」のようになり、私が行くと「お帰りなさい」といろいろな人が声をかけてくれるようにもなった。そのこともあってか、私自身もいつの間にか、「ニセコに帰る」という感覚になってしまったのよね。

でも、後半の6年間は、母が入退院を繰り返すようになり、母のことを思うと、私一人でニセコに行くことはできなくなった。それからというもの、ニセコは「望郷の地」と化し、家は空き家のままの状態が続いた。人の住まない家ほど侘びしいものはない。この一、二年前には、外壁のペンキもだいぶ剥げてきたという情報が入って、「もうこのままニセコの家には行けないのかしら……」という何とも淋しい思いが胸に去来するようになった。

そうこうしているうちに、母が昨年の暮れに他界した。最愛の母を亡くすのは、想像を絶するほど辛く悲しい。「母は老衰で亡くなったのだから仕方がない」と自分にいくら言い聞かせても、なかなか割り切って考えることができない。しばらくは、この「モイラの日記」も書けないほどであった。でも、結果的に考えると、母は私に「時間というプレゼント」を与えてくれたのだ。もう、半分諦めていたニセコという第二の故郷に帰る時間を私にくれたのだ。

私はいよいよ、この3日に母の位牌と写真を連れて、ニセコに向かう。

2005年6月30日(木)

QVCライブ放送 (深夜1時30分)

今日は月末ということもあって、原稿の締め切りが重なっており、朝から執筆に追われた。雑誌やインターネット関連の原稿を一気に5本書かなければならなかったので、テレビのスイッチも入れず、お茶を飲むのも忘れて、文字通り「一心不乱」にキーボードを叩き続けた。このHPに関する原稿は、「今月の運勢」として7月の運勢を、「今日の運勢」として7月1日の運勢を夜までに書き上げた。

その後、深夜1時15分からのQVCに生出演するため、慌ただしく身支度をし、午後10時45分にお迎えの車に乗り込んで幕張のQVCスタジオに向かった。夜遅いので、さすがに高速が空いていて、1時間弱でQVCに到着。打ち合わせ後、放送開始の10分前にマイクをつけてもらって、スタジオに入った。

今回の放送は45分という短い時間だったので、お伝えしたいことの半分もお話しできず、ちょっと残念だった。また、近いうちに十分なお時間をいただき、幸せになる秘訣などをゆっくりお話ししたいと思う。

という次第で、放送が終わってから、また真夜中の高速をひた走り、幕張から自宅に戻ったのが午前3時少し前。今はもう3時40分を回ろうとしている。とりあえず、これからシャワーを浴びて一眠りしたい。きちんとした日記が書けなくて心苦しいが、明日また元気に頑張りたいと思う。おやすみなさ〜い!

2005年6月29日(水)

モイラさん、画像のことなら我々におまかせあれ

この日記についての感想や励ましのメールを今日もまた、たくさんいただいた。本来なら、お一人お一人にお返事を書かなければならないのだが、急を要する深刻な悩みをお持ちの方もけっこうあって、そちらへのお返事を優先してしまっている。お礼のメールをつい失礼をしてしまうことをこの場をお借りして、お詫びしたい。そして、感想や励ましのメールを拝見するたびに、私がどれだけ疲れが吹き飛んでいるか、その感謝の気持ちをお伝えしたいと思う。

ところで、メールの多くに「日記に写真がついているので楽しい」という感想の言葉がある。出版社の編集の方たちも、電話で同じ感想を伝えてくださる。確かにそう、文字だけより写真やイラストがついていたほうが、私だって楽しいのよね。でも、これは正直言ってけっこう大変。以前は思いついたことを書き終えれば、今日の日記は終わり!と一息つけたが、今はそうはいかない。日記の内容と関係する被写体をテーブルの上に置いたりして、愛用のデジカメでパチリ。それをPCに取り込んだりする作業が必要だ。

そんなわけで、私は日記の題材を考える時は、同時に写真やイラストのことも考えるようになった。けっこう大変なんてグチめいたことを言ってしまったが、反面これが私自身の楽しみにもなっているから、止められないのかもしれないわね。それでも、写真やイラストをどうしも揃えられない場合がある。そんなときは、HPを編集しサーバーにアップしてくださるM&Jさんに、日記の原稿の最後に「今日は写真がありません」と書いておく。するとどうでしょう!必ず適当な写真やイラストを添えてアップしてくださっているのよね。

今月の例だけでも、6月22日の「ドクターと患者の写真」、6月21日の「原爆ドームの写真」、6月20日の「ショートケーキの写真」、6月19日の「カラスとハトとスズメの合成写真」、6月12日の「信号機の写真」、6月4日の「想い出の中のバンビ」、6月3日の「キーボードと鍵の写真」などがある。中でも、6月12日の「信号機の写真」は、夜の12時近くに交差点に出向き、撮影してくださったものだ。

つまり、私が写真やイラストを提供できなかった日の日記の絵柄は、HPにアップされて初めて、私も知るわけなのよね。この場合は私もまるで読者の一人であるかのように、楽しみに待っている。ついでにお話ししておくと、日記に関してはもうひとつ楽しみなことがある。実は、私がM&Jさんに送る原稿には「○月○日の日記」というタイトル以外は何もつけていない。ところが、更新履歴のコメント欄にはいつも気がきいたタイトルが入っていたり、写真やイラストにもこれまた「なるほど」と思えるようなキャブションが添えられている。これも私は日記がアップされて初めて見ることになる。だから、「今日は何というタイトルがつくのかしら……」などと、ワクワクしているのよね。

さて、今日の日記につく画像はどんなものかしら?

2005年6月28日(火)

今日、出会ってしまったブルーラブラドライト

今日の東京は摂氏34度という真夏日だった。温度が高いだけでなく湿度も高く、耐え難いくらいの一日だった。私は何が苦手かといって、暑さほど苦手なものはない。寒さには耐えられるが、暑さにはめっぽう弱い体質なのよね。ところが、こんな日に限って、仕事の打合せのために一日中外出だった。

一件目はインターネットの占いコンテンツである「天使たちの予言」の制作会社メディア工房さんの制作スタッフとの打合せ。午後2時半から5時過ぎまで、占いコンテンツのアイデアや占いロジックの話で盛り上がった。

二件目はすでにお馴染みのDear Stone のオフィスでの打合せ。普通ならお仕事が終わる時間なのに、私のペースで延々8時過ぎまで続いてしまった。打合せも終わりに近づいたとき、店長の山本麗子さんのご主人が今日はお休みで、お家で待っていらっしゃると伺ってドキッ! 本当に悪いことしてしまった。ごめんなさい。

楽天のネットショップ「Dear Stone」も開店6ヶ月を終えようとしているが、スタッフの真剣な取り組みが実って、すでに多くのパワーストーン愛好家が訪れる人気のお店となった。「パワーストーンといえばDear Stone」を合い言葉に皆が心をひとつにして頑張ってきた結果だ。6ヶ月はひとつの区切りだから、7月からはこの6ヶ月間の経験を生かして、さらに質の高いパワーストーンをお届けできるよう頑張りましょうと決意を新たにした。

ところで、今日は個人的に嬉しい石との出会いがあった。かねてから欲しいと思っていたブルーラブラドライトの極上品にDear Stoneのオフィスで出会ってしまったのだ。石との出会いは自然にやってくると私は常々お話してきたが、今日の出会いもまさにそういう出会いだった。石を見慣れている私が思わず「これをぜひ身につけたい!」と心の中で叫んでいたのよね。

ブルーラブラドライトは私の大好きなロイヤルブルームーンストーンの仲間で、同じように神秘的な光を放つ石。ロイヤルブルームーンストーンよりは黒っぽい石だが、ふわ〜っとブルーの光が浮かび上がって、その美しいこと! 天然のものだから、丸玉のひとつひとつが放つ光の色が微妙に違う。青空のようなブルーもあれば、グリーンがかった光もある。その色の違い、光具合の違いが、何とも言えず魅力的で、心が吸い寄せられて目が離せなくなる。「どうして、こんなにも神秘的で美しい石がこの世に存在するの!?」と、何度も心の中で繰り返してしまう。

私が購入したブルーラブラドライトのブレスレットは12ミリ玉だけが連なったシンプルなデザイン。これほど大きい石で、こんなに高い等級のブルーラブラドライトは、日本においてDear Stoneショップ以外では手に入らないと断言できるそうだ。ブレスに使われている丸玉のどれをとってもジュエリーとしてリングにできるのですもの、まさに一生もののパワーストーン・ブレスね。

ちなみに、ブルーラブラドライトは、持つ人の感性を磨いてくれると言われる石。迷いや不安が消え、クリエイティブなセンスや思考力がアップ! 自分に最もプラスになる方向へと歩んでいけるように、手助けしてくれる。天職を見つけたい人、仕事で大きく飛躍したい人にもピッタリの石と伝えられているのよね。

「7月の新製品はこのバリエーションでいきましょうよ」
Dear Stone 店長の山本麗子さんと……

2005年6月27日(月)

癒しの光を放つソルトランプ

私はクリスチャンではない。でも、中学から大学卒業までの10年間をカトリック系の学校で過ごしたためか、私の善悪を判断する倫理的な基準が、現在に至っても聖書の教えに由来するのではないかとときどき感じる。シスターたちが熱心に語られたことなどが、心に刻まれたためだと思う。

「山上の垂訓」として有名な「地の塩となれ、世の光となれ」というイエスの言葉も、そうしたお説教の中にあった。塩は地味な存在だが、生きていくうえで欠かすことのできない重要な役割を持っている。光も同様。全く光がない状態では生きていけないし、世の中に希望を与える役割を持っている。漠然とではあるが、そのように理解してきた。でも、この「塩」と「光」はイエスが伝えたかった真意をわかりやすく表現するための比喩であったろう。

ところで、「地の塩」という表現は、考えてみると、私たち日本人には本来解りにくいはずの言葉なのよね。なぜならば、天然の「塩」と言えば、日本では海水から水分を蒸発させて得てきたもので、決して地中から掘り起こしたものではない。しかも、日本の塩は、つい3年前の2002年に塩の専売制が廃止される以前までは、海外からの塩の輸入はたいへん難しかった。つまり、日本において塩=海の産物であったわけだ。だから、どうして聖書の「地の塩」という表現に何の疑問も持たず、すんなりと受け取っていたのか、ちょっと不思議ではあるのよね。

ご承知のように海外の天然塩というと「岩塩」の方が一般的。まさに「地の塩」と言える。私が岩塩を初めて見たのは、8年ほど前に、ある方がネパールから持ち込んだもの。そのときは「塩」として持ち込むことができず、「研究用サンプル」として許可されたと聞いた。それが、今ではスーパーなどで、調味料の棚に岩塩を砕いた塩が商品として並ぶようになった。2002年に実施された専売制撤廃のお陰ね。

今日、こんなことを書こうと思いついたのは、昨年いただいて、ここしばらく何となく使用しなかった岩塩のランプを再び、寝室で使うことにしたためだ。このランプはヒマラヤ、カラコルム山脈一帯の地下から採掘された、2億年から3億年前の岩塩でつくられているとのことだ。電源を入れて、しばらくするとマイナスイオンを発生、空気が浄化されるという。空気の浄化作用がどの程度なのかはよく分からないが、ランプを灯すと、サーモンピンクような、暖かみのある柔らかい光が広がる。これはまさに癒しの光ね。やはり寝室にはピッタリの灯りではないかしら。心地よい眠りを誘ってくれそうよ。

2005年6月26日(日)

収録が進むにつれスタジオ内はムンムンの暑さ

今日は朝8時半からモイラジュエリーの新作発表セールがQVCで放送された。QVCは生放送のため、私は7時半までに幕張のQVCスタジオに入る予定だった。そのためには多少の余裕時間を入れると、6時には新宿の事務所を出発する必要がある。シャワーやメーク、その他の身支度を考えると、朝4時には起床しなければならない。

こうした時間の計算が頭の中でできていたから、昨日の昼間までは、遅くとも夜11時には就寝しようと考えていた。ところが、実際にベッドに入ったのは午前2時を回ってしまった。結局、睡眠は2時間。これではお肌に良いわけがない。鏡をのぞいたら、毛穴は開いているし、顔がむくんでいる! まあ、仕方がないかと、あきらめ気分でシャワーを浴び、メークを始めた。睡眠不足のせいか、全てがどうも手早くいかない。ドジばかりしてしまい、無駄な動きが多い。

そうこうしているうちに、マネージャーが朝6時に事務所に到着。でも、実際に出発したのは6時半。日曜日の早朝だというのに、首都高速道路は多少渋滞。それでもQVCでの打ち合わせ時間の8時には余裕で到着した。

放送は8時半からの1時間。新作7点、アンコールアイテム5点。計12点のモイラジュエリーを1時間の中で紹介する訳だから、特別枠2時間に慣れてしまった私としては目の回るほどあわただしい放送となってしまった。お話しようと考えていたことの多くが時間の関係で出来ず、ちょっと残念だった。

それでも予想をはるかに超えるモイラジュエリーをお求めいただき、とてもハッピーな気分でスタジオを飛び出した。飛び出したという理由は、実は、今日はその足でテレビ東京の「THE占い」収録のために、渋谷のスタジオに直行しなければならなかったのだ。スタジオ入りの時間は午前11時半。東関道と首都高速を使えば、余裕で入れる。ところが、なんてことなの!? 手相を観るために一番必要な道具のルーペを事務所に忘れてきたことに気づいたのだ。それで急遽、新宿の事務所にUターンした。 

私のせいで、余分な時間が30分程度かかってしまったが、渋谷のスタジオには11時に到着。出演者の中では1番早く着いた。でも、これからが正直なところ大変だった。収録が夕方の7時まで続いたのよね。睡眠不足も手伝って、体の芯はかなり疲れ始めていることが自分で分かる。でも、不思議なものね。「ハイ、本番!」というディレクターさんの声が聞こえると、本能的に背筋を伸ばし、顔に笑みを浮かべている自分がいる。自然にエネルギーが出てしまうのよ。自分で言うのも何だが、人間の底力ってけっこうすごいと思う。

そんなわけで、朝から晩までほとんどテレビカメラの前で過ごした1日だった。収録後、マネージャーと仕事の打ち合わせをしながら、ゆっくりディナータイムをとって、家に戻ったのは夜11時。強いライトを浴びて、汗びっしょりになった体をシャワーで洗い流しながら、「今日はこのままバタンキューで寝てしまい、明日早く起きて、今日の運勢とモイラの日記を書こうか……」という思いが、チラチラ、チラチラ頭に浮かんだ。でも、真夜中でもHPの更新を待っていてくださる読者の方が大勢いらっしゃることを考えると、そんなワガママはとてもできない、頑張らなければ!というわけで、今この日記を書いているのよね。

今日の日記は、駆け足で私の一日の行動を書き記すだけになってしまった。もう少し充実した内容の日記を書きたかったのだけれど、ごめんなさい。

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