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このページは2005年6月1日〜6月15日の日記です。

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2005年6月15日(水)

私の愛用ステーショナリー

私は中学生一年生のときから夏目漱石の小説にはまり、大学卒業まで、読書の大半の時間を漱石の作品に費やしていた。そして、漱石の作品は今でも時折、読み返している。さて、この漱石だが、希代の手紙魔だった。これは有名な話なので、ご存知の方もいらっしゃると思うが、およそ2,500通もの手紙が残っているといわれている。あれだけ多くの小説や論文などを書いていて、そのうえ手紙もなんて、驚いてしまうわよね。

でも、世界には漱石をはるかにしのぐ手紙魔もいるのね。それはドイツのライプニッツ(1646〜1716)。ライプニッツは哲学者、数学者、物理学者、政治家と、いくつもの肩書きを持っていた人で、なんと、生涯に15,000通もの手紙を書いたという。当然、すべて手書きの書簡だ。こうなるともう、すごいなんてものではない。

ところで、現代の私たちは「手紙」というものをめっきり書かなくなった。仕事上の連絡には、もっぱらメールが主役となっている。ファックスでさえ、最近は出番が少ない。では、知人、友人との連絡はというと、これまた電話かメールが中心。手書きの手紙を出すのは、お礼状やお祝い状くらいかもしれない。

今日は、たまたま手書きの手紙を書いた。こういうときは、どうしてもデスクで書く気になれない。パソコンのそばを離れ、ダイニングテーブルを使って書く。何故かそのほうがリラックスして、心がこもる気がするのだ。レターペーパーにはけっこうこだわっていて、最近は上の写真のようなカード状のものを使うことが多い。アメリカのキャロル・ウイルソン・ファインアーツ社製のものだが、大好きなバラの花に囲まれて、「M」という飾り文字がエンボス加工されている。そう、MOIRAの「M」。市販品で、私のために作られたものではないのに、これは私専用のカードよ……なんて、勝手に決め込んで嬉しがっている。でも、この程度の使用頻度では、大量に買い込んであるストックを使い切るには、いったい何年かかるやら……。

2005年6月14日(火)

立派なゴールドのリボンの包装の中身は……

近年は、野菜にしても果物にしても、輸入ものやハウスものが増え、本来の季節感というものがどんどん薄れてきた。こうした状況の中にあって、この時期でないと出回らない果物のひとつにサクランボがある。私はこのサクランボがたまらなく好きで、ここ何年か山形産の紅秀峰という銘柄のサクランボを通販で購入。宝石のように美しい赤い実を口に含んでは、夏の始まりの季節感と幸せ感を味わっている。とにかくこの紅秀峰、とびきり甘くて美味しいのよ。

今年も紅秀峰を取り寄せる予定だったが、「お届けは7月中旬になります」という通販会社のお返事。7月中旬? 6月は無理か……そうよね、確かに紅秀峰はいつも7月に入ってからいただいている。ちょうどその頃、私は北海道で、東京にはいられない。残念だけど、今年はあきらめよう。サクランボの銘柄はいろいろあるのだし、北海道で美味しいサクランボに巡り会えるかも知れない、そう思った。

でも不思議ね。今日、訪問した会社でサクランボをいただいたのだ。ゴールドのリボンで丁寧に包装された高級品だ。その後、別の会社での打ち合わせなどがあり、帰宅したのは夜9時過ぎになってしまったが、さっそく包装を解き一口試食させていただいた。わー、おいしい! 紅秀峰にひけをとらないほど甘いじゃないの! 何て銘柄かしら……とあらためて箱をながめたら、なんとまあ、「紅秀峰」と刻印されている!! これにはもうビックリ! すごい幸せ!! 6月に出荷するものもあるのね。

ところで、私はこのように明るい気持ちで何となく願っていると、それが叶うということがよくある。今日のサクランボもそのひとつ。紅秀峰のことは今年はサッサとあきらめた。でも、心のどこかで、何となく美味しいサクランボに出会えたらいいなあ、と思っていたのよね。

実はこうした気持ちの持ち方こそが幸運を引き寄せる、願いを叶えるヒケツなのだ。「サクランボという小さな願いだから叶っただけじゃない? 大きな願いの場合はそうはいかないわよ」と疑問に思われる方も多いだろうが、そんなことはない。願いの大小に関係なく、明るくポジティブに、でも肩に力を入れずに気楽に願うことがヒケツなのよね。これは私の経験からも間違いないと断言できる。

ただし、大きな願いを叶えるためには、もちろん日々の努力は必要。今、自分ができることは何かを常に考え、最善の努力を尽くすことが大切だ。そして、同時に明るく気楽に願うこと。これさえ実行できれば、どんなこともいずれ必ずあなたの願い通りになるはずだ。明るい気持ちは明るい運気を、暗い気持ちは暗い運気をひきつけることを忘れてはいけないのよね。

??? まだお気づきでなければ、上の写真の上にポインターを乗せてネ。???

2005年6月13日(月)

これが株主総会だったら……

6月というのは日本の多くの上場企業の株主総会がある月。例の「ホリエモン」さんの一件から、従来はあまり関心がなかった「株」や「株主」という問題に目が注がれるようになった。

騒ぎのさなかで「会社とはいったい誰のものか?」という問いが盛んに提起され、「株式を公開する上場企業は株主のもの」という外国においては当たり前とされている定義が確認された。ところが、某テレビ局が実施した意識調査では、「会社は社員のもの」という考えをお持ちの方がかなりいらっしゃることが判った。私は会社勤めの経験はないが、そういう考えを持ってしまうのは解る気がする。何故って、少し前まで日本では終身雇用が当たり前で、会社と社員は運命共同体という意識が強い時代だったのですもの。それは極めて日本的な意識だと言われても、そうすぐには変われるものではないわよね。

今日はたまたま集まりがあって、外資系企業に長くお勤めの方とお会いしたのだが、その方とも「会社は誰のもの」という話題でひとしきり話が弾んだ。やはり外資系の会社だけに、その方の認識では、「会社は株主のもの」というのは当たり前のことだという。その証拠に、その方の会社の本社があるアメリカの株主総会は、日本のそれとはまるで違った様相だという。なんと、総会に出席してくる株主たちの多くは、家族を連れてやってくるとか! どうして家族同伴なのかと言うと、株主総会が開催される会場はいろいろなイベントがあったり、出店が出たり、まるでカーニバルのように華やかだからだそうよ。

これは、アメリカのどの企業にも当てはまるものではないかもしれない。でも、株主あっての企業という考え方が浸透しているからこそ、このようなイベント盛りだくさんの株主総会が開かれるに違いない。日本の株主総会も今年当たりから楽しい雰囲気に変わって欲しいわね。

2005年6月12日(日)

青信号とは言うけれど……

今日が日曜日であることは分かっているが、いつものように、ウィークデーと何ら変わることなく締め切りの迫った原稿を執筆していた。頑張れば、今日中に仕上がるはずなのだが、突然に友人から電話。近くまで来たから、お茶でもいかが?……という誘いだ。言うまでもなく、原稿執筆よりお茶のほうが魅力的よね。そうよ、今日は日曜日じゃないの!

というわけで、メークもそこそこに外へ飛び出した。歩いて10分もかからないホテルのティールームだが、早く行かなければと気が急く。途中、信号が3箇所あるが、今日に限ってどれも赤信号。「原稿を中断した報いかしら……」などと、一瞬、気が咎めた。

「信号が赤ばっかりで、こういう時って、青になるのが待ちきれないものね」友人に顔を合わせるなり、私は信号機の話をした。すると、友人は「日本の信号って青だっけ」とおかしなことをいう。
「向こうじゃ、緑よ」友人は最近までアメリカに住んでいたのだ。
「えっ? 信号機の色がアメリカと日本じゃ違うの?」
「あまり気にしていなかったけど、ブルーとはいわないもの」
「へー、そうなの……」
その後は、話が変わってとりとめもない雑談。約2時間あまりのいい気分転換になった。

ところが、帰宅後もこの信号機の「青」が「緑」という話が何だか気になる。夜になっても脳裏から離れない。そこで、また原稿を中断して、ネット検索してみた。分かったことは、やはり国際的には青信号は「グリーンシグナル」と言われており、グリーンが正統のようだ。なぜ、日本がブルーシグナル、青信号となっているかは、ウイーンに本部を置く国際照明委員会(CIE)が定めるグリーンにも幅があるからだそうだ。日本ではその規定の範囲の中から色弱の方に配慮してできるだけ青に見えるような緑色を採用したそうだ。

ちなみに、日本ではじめて信号機が取り付けられたのは昭和5年、東京・日比谷の交差点。それが今日では全国で19万機の信号機が作動中とのことだ。さあ、これで、気分がスッキリ! また原稿にとりかかろう。

緑がかった青かしら……

2005年6月11日(土)

私がいつも身につけている水晶のブレスレット

近頃、仕事、あるいはプライベートで人に会うたびに、必ずパワーストーンに関して質問されるようになった。私が常に水晶のブレスレットをしているせいもあるかとは思うが、パワーストーンに関心を持つ方が確実に増えている。以前はこんなに質問されることはなかった。実は今日も知り合いからメールで問い合わせがあった。最近、悪いことが重なっているので、パワーストーンを身につけたいが、何かオススメの石はないでしょうか……という内容だ。

このように質問の内容は、「パワーストーンが欲しいけれど、どの石を身につけてよいかわからない。今までパワーストーンというものを購入したことはない。どの石も美しく心を惹かれるが、自分の好みがはっきりあるわけではない。お守りになる石が欲しい」というものがほとんど。つまり、ご自分にとっての「初めてのパワーストーン」を購入したいと考えている方が多いのよね。私はそうした、特にこれという石の希望がない方には必ず、水晶(無色透明なクリアクリスタル)のブレスレットをオススメしている。

何故かというと、水晶は昔から、最高の魔除けであり、幸運を招く素晴らしいパワーがあると伝えられているからだ。もちろん私もその幸運パワーを実感している。また、水晶は「初めてのパワーストーン」という観点からも、これ以上ピッタリの石はないと思っている。それに、水晶は他の石との相性も抜群! 水晶のブレスレットを身につけていて、先々、他の石のブレスレットも欲しくなった場合、二重でも三重でも重ねづけがしやすいのよね。水晶には他の石のパワーを引き出し、自分も輝く力があると言われているのだ。

なお、石というのは出会いだから、ご自分がピーンときた水晶を購入されるのが一番だと思う。それは街を歩いていて、何となく入ったお店で出会うかも知れないし、通
見つける場合もある。ただ、気をつけて欲しいのは、値段があまりに安い水晶だと、天然と称して人工の場合があるということ。お守りとして身につけるなら、やはり天然の水晶でなければ、意味がないのよね。しっかりしたパワーストーンの専門店で、そこそこのお値段のものを手に入れられるほうがよいと思う。

上の写真は私が二年以上前から絶えず左手につけているブレスレット。出会ったときは目が離せなくなり、身につけ始めてすぐに私と完全に一体となった感じを受けた。この水晶はちょっと変わっていて、天然のクラック入り(内側にヒビが入っている)。たいへんなパワーを持っているが、水晶の中では個性が強いタイプなのよね。万人向きとは言えないので、何度も言うようだが、まずは無色透明の水晶から始めると良いと思う。

2005年6月10日(金)

届いた刺繍のキット

5月30日の日記に私は刺繍をするのが好きだということ。そして、20代のときに「文化刺繍」で風景画を刺したこともあると書き記した。この日記が引き金になったというか、普段は忘れている記憶を呼び覚ましたというか、にわかに刺繍熱が燃え上がってしまったのよね。

こうなると、「刺繍は年をとってからの楽しみ」なんて、悠長なことはとても言っていられない気分。「忙しいのに刺繍の道具なんて買い込んでどうするの!?   第一、文化刺繍なんて今時、売っているかどうかわからないわよ!」と心の中のもう一人の自分が制するが、こうなったら歯止めがきかない。得意のネット検索をすると、いとも簡単に「文化刺繍」を扱っているネットショップが見つかってしまった。風景画の種類も豊富にある。

というわけで、早速注文。実はその道具が今日届いたのだ。「文化刺繍」は、写真のように枠に張った布に専用の針で刺繍していくもの。刺繍糸はきれいな色に染め分けられたリリアンの糸をほぐして使う。リリアンというと、子供のときに遊んだあのリリアンの糸のけばけばしい色が思い浮かぶ方も多いと思うが、それとは違って、もっと落ち着いたいい色をしている。布には風景画が線で描かれ、使う糸の番号も印刷されているから、それに従って刺繍していくだけ。丁寧に刺しさせすれば、けっこう見栄えのいい風景画が出来上がるのよね。

届いた刺繍の道具は、東京文化刺繍キット「花の小道」で、刺繍面サイズ:19×24センチの1号サイズ。ヨーロッパののどかな田舎の風景といった絵だ。小さな風景画を選んだのは、あまり時間がかからずに出来上がると思い、仕事に支障がないように選んだつもり。でも、届いてみると、その小ささにビックリ! 昔、刺繍した風景画はずっと大きかった。これでは何だか物足りないわね。すぐに出来上がってしまいそう。

刺繍の時間は一日に1時間としたいところだけど、それは無理なので30分にしよう。でも、30分じゃあ……間とって45分はどうかしら? なんだかワクワクしてくる。でももし、完成までに何ヶ月もかかってしまったら、恥よね。

完成するとこのような絵柄になる 「花の小道」

2005年6月9日(木)

大女優・村松英子さんと

夕方6時から目白台にある旧細川邸「和敬塾」で開かれた女優・村松英子さんの「サロン劇場」後援会発足パーティーにお誘いを受け出席した。村松英子さんといえば、ほとんどの方はご存知だと思うが、慶応大学在学中に文学座に入り、「女の一生」の娘役で初舞台を踏まれた方。その後、三島由紀夫氏に認められて、「鹿鳴館」「サド侯爵婦人」など、三島作品のヒロインのほぼ全てを演じてこられた日本の新劇界の頂点に立つ大女優さんだ。

そんな村松英子さんも今や60代半ばになられるようだが、全く年齢を感じさせないエレガントな方。まさに素敵な真のレディーという感じなのよね。それに素晴らしいのは、いまだに演劇に対するひたむきな情熱が少しも衰えていらっしゃらないこと。三島氏没後に主幹された演劇母体「サロン劇場」の活動を1975年以降、欠かさずに続けていらして今日に至っている。こうした村松さんの活動に協賛する多くの文化人が、「サロン劇場」の後援会を発足しようと企画されたのが今夜のパーティーだった。

パーティーの会場となった目白台の旧細川邸(現在の和敬塾)は元総理大臣・細川護煕氏の生家でもあるが、洋館づくりの大邸宅で、まさに「サロン」の名にふさわしいお屋敷。その会場に集まった人々はおそらく200人近いのではないかしら。作家、学者、政治家、演劇人、ジャーナリスト、企業のマネージメントの方々など、お一人お一人がそれこそ名のある方ばかり。その中でたいへん楽しいゲストとして登場されたのは、コメディアンの坂上次郎さんだった。秋のサロン劇場で村松さんと共演される関係で来られたのだそうだ。坂上さんは壇上に上がられた時から、最後のご挨拶まで、巧まずして人を笑わせる天性のコメディアンぶりを披露されていた。

パーティーも終わりに近づいたとき、私も村松さんにご挨拶に伺った。私のことなどご存じないと思っていたが、「占いの結城モイラさんね。娘が一度占って欲しいと言ってますよ」とおっしゃった。これはもう、予想外のこと! 感激してしまった。その後、村松さんのお嬢様、えりさんにもお目にかかったが、その愛らしく美しいこと! お母様と同じ文学座に入られて、女優さんをなさっているそうだ。お二人とお話しができたことで、何だか一気に親しみが増した。村松えりさんの将来もほんとに楽しみ! これを機会に、村松さんのサロン劇場に足を運び、商業演劇とは違った真の演劇を鑑賞でさせていただきたいと思っている。

帰りがけに村松英子さんのサイン入りのご著書「こころの花 あなたと共に」をいただいた。村松さんは英文科の教授やエッセイストとしての顔もお持ちだ。目次を開くと、とても興味深いものばかり! 早く読みたい!

村松英子著 「こころの花 あなたと共に」 (講談社刊)

2005年6月8日(水)

デンジェラスのノッチさんと安田さんが
大事にしてくださっていたおまじないビデオ

今日はティーン向けの「おまじない」の原稿の締め切りがあって、一日、その執筆に追われた。「おまじない」というと、このHPにいらしている方のなかにも「そう言えば、昔、よくやったわ」と思われる方が多くいらっしゃるのではないかしら。でも、この「おまじない」、 20数年くらい前は今ほどメジャーではなかったのよね。

その頃、私は仕事を始めて一年目くらい。小学館で「ちゃお」とう雑誌が創刊されて、私の星占いの連載がスタートして間もなくの頃だった。当時、私は西洋の魔術に関心を持ち研究していたが、この魔術をティーン向けに可愛らしくアレンジできないかと考え始めていた。西洋には魔術とまではいかない、民間に伝わる様々なおまじないもある。これらを雑誌で紹介したら、喜ばれるのではないかと思ったのだ。

そこで早速、「ちゃお」の編集長さんにこの企画をもちかけた。「えっ!? 何ですか、おまじないって! チチンプイプイを載せるんですか?」編集長さんの初めの反応はこうだった。でも、詳しくお話しすると「おもしろそうですね、やってみますか」ということになり、おまじないの掲載が決まった。そして、このおまじないが、「ちゃお」のその号で大人気の記事となってしまい、それからもたびたびおまじないが掲載されることになった。

その後、文化放送(ラジオ)の「吉田照美のてるてるワイド」にゲスト出演。その際、おまじないの話をしたことがきっかけで、この「てるてるワイド」にも「愛のおまじない講座」というのものができて、レギュラー出演するようになった。当時、「てるてるワイド」はすごい人気番組だったから、この「おまじない」にもあっと言う間に火がついた。おまじないの執筆にてんてこまいになるほど雑誌からの原稿依頼が相次いだし、単行本も10数冊執筆し、私が出演したおまじないのビデオ(ビデオ全三巻「結城モイラ・愛の白魔術」クラウンレコード)もつくられた。そのうちにふと気がつくと、私以外の執筆者による「おまじない」もいろいろな雑誌で見かけるようになった。私は特に意図したわけではないのだが、いつの間にか「おまじない」の火付け役になってしまっていたのよね。

ところで、今お話ししたおまじないのビデオでは、つい最近、ビックリしたことがある。5日にテレビ番組を収録の際、私が手相を拝見したお笑いコンビ「デンジェラスのノッチさんと安田さん」のお二人が、何と、以前にネタに利用するために購入され、このビデオは今でもお持ちになっているとか! とても嬉しい。

そのお礼にといっては何だが、ビデオでは紹介していない「シャブリリ ブリリ リリ リ」という呪文をお教えした。これはヨーロッパに伝わる呪文でシャブリリは悪魔を意味し、悪魔が次第に小さくなって消えてなくなるという呪文。自分に害を与える人や物を遠ざける魔力があるとされている。悪いことが重なって困るときにも効果がある。痴漢よけにもいいかもしれない。ひょっとすると近々、デンジェラスのお二人が「シャブリリ…」をテレビなどで連発して、流行るかもしれないわね。

成人向け「おまじないブック」 (祥伝社刊)

2005年6月7日(火)

友人が送ってくれた文庫本

久々に時間的にゆとりがあったので、夕方になって少し読書をした。10日以上前だったかしら、読書家の友人が「面白かったからぜひ読んでみて」と郵送してくれた本があって、それがそのままになっていた。宮部みゆき著「龍は眠る」(新潮文庫)で、まだ100ページくらいしか読んでいないが、けっこう面白い。主人公が暴風雨の中で超能力がある少年と出会うところから話がスタートしている。話がどう展開していくのか楽しみよ。

実はこの本が届いたときに私は「えっ!? また龍?」とちょっとビックリした。というのは、仕事の参考文献として「龍の棲(す)む日本」(黒田日出男著 岩波新書)をちょうど読み返していた最中だったのよね。これもひとつのシンクロニシティかな? 

ところで、私はある時期から不思議に「龍」づいてきている。その始まりは「龍」に興味を持ったからではない。「龍」のほうから近づいてきた気がするのよね。私は1992年にニセコ(北海道)にセカンドハウスを建てたが、その際も不思議なことがあった。家を建て終わって間もなく、東京からわざわざニセコまでお祝いに来てくださった方々がいる。その中に占いで有名なマドモアゼル・愛さんがいらした。その愛さんがこうおっしゃったのだ。

「モイラさん、お宅の地形は素晴らしいですよ、龍が棲んでいる。龍に守られているんですよ」
当時の私は、何のことやら分からず、眼をパチクリしてしまった。すると愛さんは、丁寧に説明してくださった。ただ、それは話が長くなりすぎるので、省略する。愛さんはまた、こんなこともおっしゃった。
「モイラさん、地鎮祭のときはどうでした?」
「それがその日の朝、晴れていたのに、地鎮祭が始まる時間になったら、急に空が黒雲に覆われて、ザーッと雨が降り出したんです。そして、地鎮祭が終わったらまた、晴れてしまって……何か不思議だったんですよね」
「やっぱりね、龍神が降りたんですよ! きっと幸運が訪れますよ」

そのときの愛さんのお話は「龍の棲む日本」などを読んでみるとよく理解できる。そもそも龍に対する信仰は中国から伝わってきたもの。弥生時代には土器に龍の姿が彫り込まれたりしたが、平安時代になってから日本独自の龍信仰へと発展していった。日本にはいたるところに龍が棲む聖地があり、龍に守られていると信じられるようになったのだ。

日本のあちこちに「龍」の名が付く場所があるのは、実際に龍が棲んでいると思われていたため。中世の日本には龍の目撃談も多かった。空が黒雲で覆われるのは龍神が現れた証拠だと人々は思い、その空に龍の姿を発見したという。龍は雨の神としても信仰され、日照りのときの雨乞いの儀式も、大雨の際に止雨を願う儀式も、この龍神に祈願した。雨乞いの儀式には龍が棲むとされる滝や泉の水が使われたそうだ。

ニセコの家に関しては、こんな「龍」に関する出来事もあった。建築をしている最中、鋳物でできた暖炉の扉が、注文した物とは違うものが取り付けられていたのよね。でも、その扉の模様がなかなかいいので、これも縁だと、取り換えずにそのままにすることにした。そして後日、扉の複雑な模様をよく見てみると、何とその模様はドラゴン(龍)だった。暖炉は北欧ノルウェーのものだが、ヨーロッパにもドラゴンの伝説はあるので、決しておかしなことではないのよね。キリスト教においては、ドラゴンは悪魔とされているが、民間信仰では違う。ドラゴンは力の象徴であり、勝利をもたらすものとして、また、リンゴの樹や羊皮を守るものとして信じられてきたのだ。

こうしてみると、「龍」ってすごく興味深い! これを機会に「世界の龍」に関して、もっと研究を深めてみたいと思う。

2005年6月6日(月)

細切れ睡眠の友

今日、書店を覗いたら、「3時間熟睡法」という本がショーウィンドウに飾られ、大々的に販売されていた。手にとってパラパラと内容を見てみたが、私にはどうも必要はなさそう。

というのは、私の睡眠法というのは、眠りたいときに眠るだけで、3時間にこだわる必要がないし、実はもっと短時間睡眠を繰り返しているのよね。原稿の締め切りなど、仕事が立て込んでくると、まともに6時間、7時間といった連続睡眠は無理。頭が働かなくなったら、15分、20分と細切れに睡眠をとる。それで、けっこう頭がすっきりするし、体力も回復する。

「3時間熟睡法」が注目されるのは、十分に眠る時間がある人が、短時間睡眠ですめば、もっと時間を有効活用できるのにという願望からかしら。私の願望はといえば、それとは正反対。眠る時間があるときは、出来るだけたくさん眠りたいというものなのよね。

ところで、私の細切れ睡眠には長年お付き合いしてくれている「友」がいる。上の写真の目覚まし時計君。何年も前にベネッセコーポレーションのパーティーのおみやげでいただいた「コラショ」というキャラクターのもの。いただいてからずっと、この目覚まし君のお世話になっている。とにかく「起こし上手」なのだ。

時間になると、甲高い子供のようなコラショの声で「おはよう! 朝だよ! おはよう! 朝だよ!」とボタンを押すまで叫び続ける。声を入れたのは大人の女性の声優さんだと思うが、そのけたたましさといったら、すごい! いやでもおうでも起きることになる。そして、ボタンを押すと、「パンパカパーン! 起きたの、エライ!」と言って褒めたり、ときには、「よいしょ、こらしょ、頑張るぞ!」なんて元気づけたり……。ずいぶんうるさい目覚ましだけど、何か憎めないのよね。妙に私にフィットしてしまっている。

私は過去に目覚まし時計は何台も購入していて、美しい音楽で起こしてくれるのもあるが、あれはダメね。ちょっと目が覚めても、うっとりと聞き入って、また眠ってしまう。大音量のベルのもあるが、どこか味気なくて使う気になれない。何だか、コラショの目覚まし君には、この先もずっとお世話になりそう。万が一壊れたりしたら、修理に出しても使うんじゃないかな。

2005年6月5日(日)

お母さんの愛が詰まったバスケット

朝から夕方までテレビ番組の収録があった。でも、この番組のことは4月22日の日記で書いたので省略しよう。実は、今日は、書いておきたいことが他にある。6月2日の日記で「ホテルのはしご」の最後にモイラジュエリーの打ち合わせのことを記したが、そのときに聞いた話を紹介したい。

それはこんな話だ。モイラジュエリーの制作、製造、販売をしていいるジュエリー会社の担当さんによると、ジュエリーの型など、実際にジュエリーを手作り作業をしている職人さんの腕がどんどんあがっているというのだ。これはどういうことかというと、モイラジュエリーというのは、毎回毎回、新しいチャレンジをする。そのために、職人さんにしてみればいつも大変な技術を要求されることになるのね。つまり、職人さん泣かせだと言われてきたのだ。

初期の頃は、デザイン画を見た職人さんが、あまりの繊細さに「これはいくら何でも難しいですよ」といって難色を示していたそうだ。でも、難題をひとつずつクリアしていくたびに、いつしか自信と喜びを感じるようになり、今では「期待される以上の結果」を出すことに燃えているという。

これは、職人さんだけに言えることではない。「モイラジュエリー」が誕生するまでの流れをちょっと見てみよう。私がモチーフやデザインのアイデアをチーフデザイナーの石垣さんに伝える。石垣さんはまさに「期待される以上の結果(デザイン)」を私に提示してくれる。そして、ジュエリー会社の担当さんとともに職人さんにデザイン画を見せ、イメージを伝える。するとまたここでも「期待される以上の結果(型)」が生まれる。また、ジュエリー会社の担当さんは使用する宝石集めに奔走。質の良い石を集めてくる。ロイヤル・ブルー・ムーンストーンのように数が少ない石だと、これがまた大変な作業だ。でも、ここでも熱意がものをいうのだろう、「期待される以上の結果」が生まれている。

この「期待される以上の結果」のループによって、モイラジュエリーは成り立っている。得てして「妥協の産物」が多い中にあって、このようにそれそれの立場の専門家が「妥協」をせずに、「先進」をモットーとし、新しい可能性にチャレンジし続けているのよね。これは、「モイラジュエリー」をプロデュースする立場の私としては、本当に幸せなこと。複数の人が関わるチームワークの理想型ではないかとさえ思える。

ところで、近々発表を予定しているモイラジュエリーの新作のなかにバスケット・ペンダントがある。私が出したコンセプトは、「幼稚園の頃に、母が作ってくれたお弁当を入れて手に提げて歩いたバスケット」だった。バスケットはもっともピュアな「愛」の象徴として、母の温もりとして、いつも私の心の中にある。このコンセプトがチーフデザイナーと職人さんのチャレンジによって、洗練された美しいアクセサリーとして誕生した。実はこのバスケット・ペンダントは蓋が開閉できて、その中には古くから幸運を招くとされている「あるもの」が入っているのよね。後日、このHPで紹介したいと思う。

2005年6月4日(土)

想い出の中のバンビ

アイフルのTVコマーシャルで国民的アイドルになったクーちゃんとそっくりのチワワを飼っていたことがある。飼うことになったきっかけは、以前流れていたコマーシャルと全く同じ。私がペットショップを覗いたときに、目と目が合って、そのウルウルとした訴えるような瞳に魅了されてしまったのだ。「バンビ」と名付け、それこそ夢中で可愛がっていたが、1991年7月14日にあの世へ行ってしまった。だから、バンビが生きていたのは、ずいぶん昔のことになってしまったのよね。

それでも今もバンビは私の心の中に生き続けていて、何かといえば想い出が頭をよぎる。今日もたまたまテレビをつけたときに、クーちゃんの新しいコマーシャルが流れていて、バンビのことを想い出した。バンビのことを書き始めると、きりがないので、今日はこのくらいにしておきたい。いずれ詳しく話すときにバンビの写真も紹介したいと思う。

さて、私はバンビが死んだときに、実は「二度と生き物は飼わない」と誓ってしまった。バンビに注いだほどの愛情で接することができるか、ちょっと自信がないことと、バンビに悪いような気もしたのよね。ただ、最近になってときどき、無性にまたチワワを飼いたい気持ちになる。でも、そのたびに「あの誓いはどうしたの? もうじきまた、東京とニセコの行ったり来たりの生活になるのに、わんちゃんを飼ってしまったら、大変でしょう?」と、もう一人の自分が心の中でたしなめる。結局、今のところ、チワワを飼うことはあきらめている。

その代わりと言ってはおかしいが、私がしばらく前から可愛がっているのは、下の写真のクマさんとウサギさん。二人はいつも車のリヤシートに仲良く鎮座していて、私が車に乗るときは膝に乗せたり、隣に座らせたりしている。ちょっと自慢なのは、こういうぬいぐるみでも微妙な作りの違いで、とても可愛いの、普通に可愛いの、ちょっと可愛くないのってあるでしょ? その点、この二人は私にしてみると、とっても可愛いのよ。他の人が見たら、普通かも知れないのに、親ばかだわね。

2005年6月3日(金)

「鍵とキーボードをかけて、何と解く?」……「ユビキタス」
「その心は?」……「未来社会を語るキーワード」

今日の読売の朝刊に目を通していたら、「ユビキタス社会へ地域格差の解消を」という小さな記事が掲載されていた。そもそも「ユビキタス社会」とは何なの? 記事の表現によれば、「いつでもどこでもコンピュータ・ネットワークに接続できる社会」のようだ。

そこで私の探求心が刺激された。秀和システム社刊の「標準パソコン用語事典」をひもとくと、「ユビキタス」とは「いつでもどこでも」「いたるところにある」という意味のラテン語でUbiquitous というスペリング。直訳和語は「時空自在」とも記されている。

この言葉が使われた元はといえば、米国ゼロックス社のパロアルト研究所のマーク・ワイザー(Mark Weiser)という人が、未来のコンピュータ社会の概念を表現する言葉として提唱したものだという。そのユビキタス社会の様子というのは、どういうものかしら。次世代は「いつでもどこでも」ということだから、現在のケイタイ電話がもっと進化して、インターネットが今よりも生活の基盤に深く関わってくるというイメージで捉えればいいのかしらと思った。

ところが、そんなもではないのね。もはやコンピュータは目に見える形で私たちが所有しなくてもよくなるとか。つまり、人間の生活環境の中にコンピュータチップとネットワークが組み込まれ、私たちはその場所や存在を意識することなくコンピュータを利用できる環境になるという。まるで、SFチックな世界ね。何だか、現実のものとして想像するのが難しいわ。

「ユビキタス、ユビキタス」……なんて、ちょっと呪文のよう。でもこの言葉、これからの情報社会を語る際のキーワードであることは確かなようね。

2005年6月2日(木)

ワーォ! これ、な〜に?

今日はホテルを3軒はしごした、と書くと、まるで政治家の方がパーティー会場からパーティー会場へ移動をするようなイメージだが、私の場合はホテルのティールームからティールームへ移動したに過ぎない。午前中に新宿の京王プラザホテルで某出版社の編集の方と新特集のページづくりに関する打ち合わせ。午後は紀尾井町のホテルニューオータニで某社社長さんの奥様とお会いし、夕方はまた新宿に戻り、センチュリーハイアットでジュエリー会社の方と新作のモイラジュエリーに関する打ち合わせを行った。

その中で、読者の方にも参考にしていただけるのは、社長さんの奥様とのおしゃべりの内容だろう。そもそも、お会いした目的は、ベースメークのことをお話ししましょうということだったので、私から奥様へメークの基本をお教えすることになった。その中の、メークの基本であるお肌の整え方についてご紹介しよう。

ご存じのとおり、メークで重要なのは、お肌の調子を整えること。肌の具合ひとつで、ファンデーションのノリが違うことと、化粧くずれの防止に役立つからだ。私が、いろいろ試した中から、これは効果があると思い、実践しているお肌の手入れ方法は、アクアパック。5月23日の日記で少し触れた、私が徹夜明けのために毛穴が開いて、肌が悲惨な状態になったときに行ったあの方法だ。メークのプロ養成のために教わるアクアパックの方法は、化粧水と水でしめらせたコットンを薄くさいて、顔全体にのせていくちょっと手間のかかるパック。でも、最近はこのパックにピッタリのマスクが市販されているので、実に簡単にできる。

まず、用意するものはコインマスクとも言われる丸く固めたマスク(下の写真)と化粧水、水(あれば精製水やミネラルウォーター。水道水でもよい。冷蔵庫であるていど冷やしてある水のほうが、毛穴がキュッと締まるが、冷たいのが苦手な場合は常温水でもちろんOK!)

(1) 水に化粧水を混ぜたものをコインマスクに含ませる。水と化粧水の割合は厳密に決まっているわけではないので、水のほうを多くした感じで適当に。目的は肌にたっぷり水を含ませることと毛穴の引き締め、肌を冷やすことであるため、あまり神経質なる必要はない。

(2) コインマスクが水分をたっぷり含むとプーッとふくらむので、破らないように丁寧に開いて顔に乗せる。開くと写真のようになる。

(3) (2)のマスクを顔に乗せ、待つこと10分から15分。家事でもしながら気長に待とう。マスクをはずすとあら不思議! お肌が水分をじゅうぶんに吸って、ぷるんぷるんに! 

このアクアパックはメーク時間が比較的長くとれるときや、夜寝る前にゆとりがある場合は、必ず行うと良い。お肌のために最も重要なことは十分な睡眠には違いないが、パックをするしないでは格段にメークのノリが違うし、化粧くずれしにくくなるのよね。パックをしながら眠ってしまっても大丈夫よ。

100円硬貨大に圧縮成型されたコイン型マスク。
水分を含むと上の写真のように広げられる。

2005年6月1日(水)

究極の クール・ビズ

今日は6月1日。実際には、6月が終わってはじめて1年の半分が過ぎたことになるが、6月と聞くともう1年の前半が終了という錯覚を覚える。和名では水無月(みなづき)、古くは「水の月」で「田に水を注ぎ入れる月」だという。ところで、6月1日というと、なんと言っても「衣替え」の日よね。今日は外には出ていないので確認はしていないが、お巡りさんや中高生の制服も夏服に替わったのかしら? でも、この衣替え、昔のほうがずっとはっきりしていた気がする。今では寒い季節でも薄地の洋服を着たりするから、実際にはどこから衣替えなのだか、分からなくなった。

テレビのニュースでは今日は一日中、「クール・ビズ(Cool Biz)」が取り上げられていた。ノーネクタイの涼しげな格好で仕事をすることによって、オフイスの室温を28度に設定しようというもの。要は、冷房に使用する電力をセーブすることによって、地球温暖化防止に役立てようという狙いだ。キャンペーンの主導は政府の環境庁であることから、政府高官の方々も思い思いのカジュアル・ルックで登庁という画像が流された。

ひと昔前は、「省エネルック」として、政治家の方が半袖のジャケットを考案し、着用されたことがあるが、それはあまり定着しなかった。その点、今回の「クール・ビズ」はネーミングがちょっとオシャレだから、「省エネルック」のようなダサいイメージはない。でも、「ノーネクタイで」という合い言葉があるだけで、どういうスタイルにするかは、それぞれの方のセンスしだい。まさに個人個人のファッション・センスが試されるわけよね。

そういえば、今年前半、話題を独占した「ホリエモン」さんは「クール・ビズ」の先駆けと言えるかも知れないわね。私の知り合いで、しばらくアメリカ暮らしをしていた人の話では、「ホリエモン」スタイルは珍しいことではなく、大学の教授でさえジーンズ姿で教壇に立つことも一般的だそうだ。ただし、日中、ラフな格好で仕事をしていた同じ人が、夜にはブラックタイ(タキシード着用の正装)でバシッと決めてパーティーへ。そういったTPOが定着しているとのこと。今回の「クール・ビズ」をきっかけにもう一度TPOという問題も考えてみる必要があるかも知れないわね。

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