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このページは2006年11月10日〜11月19日の日記です。

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2006年11月19日(日)

原画: 狩野山楽「竜虎図屏風」(一部)

昨日の日記にも書いたとおり、明日、ニセコへ発つが、ふと、十数年前のことを思い出した。確かニセコの家が完成した1992年の秋であったと思う。ある通販会社が発行していた雑誌の企画で、占い研究家のマドモアゼル愛さんが東京からわざわざニセコまで来てくださった。愛さんと私がニセコの我が家で対談し、その対談内容が雑誌の記事として掲載されることになったのだ。

その対談の中で、私はニセコに家を建てる際に行った地鎮祭のお話をした。その日は早朝から気持ちの良い秋晴れであったが、地鎮祭の時間が近づくと、にわかに雲行きが怪しくなり、風も吹き始めた。そして、神主さんが祝詞をあげ始めると、突然に雨がバラバラと音を立てて降り始め、私は何だか縁起が悪い気がして、ちょっとショックだったと、まあ、こんなお話をしたのだ。ところが愛さんは、「モイラさん、それは縁起が悪いなんてことではなくて、とても良いことなんですよ。」とおっしゃった。私は首をかしげて、「どうしてですか?」とお訊ねした。「それは、まさに龍神様が降りてこられたのですよ。神主さんが祝詞をあげたときに雨が降り始めたのは、龍神様が降りてこられ、この土地を浄め、守ってくださったということですから…」と説明してくださった。

私はその頃は東洋的な呪術や占いにはあまり関心も知識もなかった。だから、愛さんにはたいへん失礼だが、どうも半信半疑で、「そうか、雨降って地固まるって昔から言うしね」ぐらいにしか、受け止めなかった。でも、私の心の深いところでは、その龍神様となんらかのコミュニケーションが成立しているのかもしれない。龍は想像上の動物であることは、もちろん承知しているのだが……。これまで竜と一緒に空を飛ぶ夢を見たり、龍神を祭っている箱根神社を訪れると、なんともいえない心の安らぎが得られるといった経験をしている。

また、ニセコに設置した暖炉の扉の模様が、ノルウェー製にもかかわらず、竜のモチーフであることを後になって気づいて、驚いたこともある。せっかくの龍との縁だ。「龍」、「ドラゴン」については、もっと知りたいと思っている。

2006年11月18日(土)

私のように、こうもちょくちょく徹夜仕事をしていると、健康にも美容にも良くないとよく忠告される。確かにそうだと思う。でも、こうした日常は今に始まったことではなく、仕事柄、20代の頃から習慣になっている。昨夜もやはり完全徹夜で、今日はそのままQVCのスタジオに直行した。でも、QVCスタジオがある千葉・幕張までのクルマの中で20分程度熟睡したので、生放送は無事終了できた。

おまけに今日は、元々の予定では、QVCの放送が終わった後、その足で茨城県の大洗港に直行し、苫小牧行きのフェリーに乗船することになっていた。ところが、その予定を実行するためには、仕事関係の資料やら何やかやとクルマに積み込まなければならない。結局、そこまで時間的余裕がなく、今日の明け方になって、インターネットでフェリーのキャンセルをした。でも代わりに、20日(月曜日)の便がとれたので、大丈夫。支度時間にも余裕ができた。

フェリーに乗る目的は、北海道・ニセコのセカンドハウスに移動することだ。セカンドハウスは1992年に建てたもので、当初、数年間は東京とニセコを行ったり来たりの生活をしていた。その後、母の病気などの関係で、東京を長期間離れることが難しくなり、昨年まではほとんど利用しない状態が続いた。でも、一昨年の暮れに母が他界したもので、昨年の夏からは、またときどきニセコで過ごすようになったのよね。

今回、ニセコには12月7日ごろまで滞在できるだろうから、運が良ければ、本格的な雪景色を見てから、東京に戻れる。「本格的な雪」を「運が良ければ」と、つい書いてしまったが、これは、地元の人にとっては、そんな脳天気なことは言っていられないことなのだ。東京よりはずっと遅い春が訪れるまでは、雪国の人々には来る日も来る日も雪との戦いが待っている。たぶん、ニセコで書く日記では、私の目を通した雪国の悲喜こもごもをお伝えできるだろう。

2006年11月17日(金)

詩集はやっぱり縦書きで読みたい。 画像:中原中也詩集「在りし日の歌」

もう一昔と言ってもいいくらい前のお話。あるパソコンメーカーの営業マンが、すでに名のある文筆家のもとを訪ね、手書きよりパソコンのほうが如何に重宝かという説得をしたそうだ。ところが、その文筆家は、「とんでもない、縦書きができなければ、そんなものは使えないよ」と一括されたとのこと。確かに初期の頃のパソコンは、縦書きができなかったと、私も聞いたことがある。

当然、今はもう、その文筆家もパソコンを使って縦書きをなさっているに違いない。でも、なぜその方は「縦書き」にこだわられたのだろうか? そう言う私も「縦書き」に大いに未練を持っていた一人なので、その文筆家の気持ちはよく解る。

大ざっぱに言って、現在も縦書きが主流となっているものは、文芸作品を中心とした読み物系であろう。横書きはその他の一般書籍……。でも、実際はもっと混沌として、なんのルールもなく「縦書き」と「横書き」が世の中に氾濫している。

仮に、夏目漱石の「坊っちゃん」を読もうと思って、本を手に取ったら、文章が横書きだったらどんな感じかしら……。高村光太郎の詩集が横書きで書かれていたらどんな感じ? ご祝儀袋の「御祝」という文字が横書きだったら? 逆に、家電製品のマニュアルが縦書きだったらどうかしら……。全部、違和感があって「なんとかして!」って思うわよね。

この問題、簡単には答えが出ないとは思う。でも、日本の文字文化においては、「縦書き」と「横書き」が当たり前のように共存し、ふだん私たちは、何の疑問も感じないで、半ば無意識に使い分けている。ただ、いずれ、この混沌には何らかのルールを見い出す必要があるのかもしれない。

2006年11月16日(木)

ここまで見てもいいのかしら? Google Earth皇居の画像

すでに多くの方がご存知のことと思うが、手元のコンピュータで世界中の地図が3次元で見られる「Google Earth」というソフトは凄い! 単なる地図のソフトの場合は、印刷物の地図帳をPCで見るだけといった感覚で、特別な感慨は浮かばなかった。でも、この「Google Earth」で見る3次元マップはあまりにリアルで、胸がドキドキしてしまう。

ともかく凄いのは、まず丸い地球の画面があって、目的の地名や住所、キーワードなどを入力すると、瞬く間に目的の場所の3次元画像が映し出されることだ。それは、自分が地球全体を見渡せる高所にいて、まるで鳥になったように目的地の上空に舞い降り、そこで街の様子をつぶさに眺めているかのような生々しさだ。今、ニューヨークの上空にいて、次の瞬間、パリに移動することも可能なのよね。

試しに皇居の上空にも飛んでみた。なんと森や建物がリアルに見えるじゃない! 天皇皇后両陛下はこの建物にお住まいなのかしら? ここがニュースでよく耳にする賢所かしら? 皇居内の池や植え込み、田んぼや畑のような所まで判別できる。ここまでくると、見てはいけないものまで見てしまっているのではないかという後ろめたさを感じてしまう。

もちろん自分のマンションや親戚のお宅もちゃんと確認できたし、以前に旅をしたヨーロッパの国々のあの街この街も確認できた。いまのところ、ただ「凄い!」という感嘆の言葉しか出ない。でも、コンピュータが今後、私たちにもたらしてくれる利便や新しい価値というものは、どこまで発展するのだろう。私はPCには詳しくないが、PCと人間の関わりには興味が尽きないものがある。

2006年11月15日(水)

電波時計は禁断の果実?

しばらく前までは、私の生活の中で、時計というのは数分はずれているのが普通だった。東京のマンションのリビングルームにはたいぶ古いハト時計があって、それはたいがい3、4分ぐらいは早かったりして、外出する時には「まだ4分あるわ」などと時計を見ながら、支度をしていた。長年続けた習慣で、時計とのこのアナログ的会話には、なんとも言えない良さがある。

ところが最近、電波時計なるものがハバをきかせてきて、信じられないような格安のお値段で売られている。この電波時計は、なんでも30万年に1秒以下の誤差の原子時計を元にしているという。家などに置かれている電波時計は、福島県の「おおたかどや山」と福岡県の「はばね山」にある標準電波送信所から発信される電波によって、正確な時間を示すように制御されているそうだ。

ハト時計さんには悪いと思ったが、けっこう新しい物にも好奇心を燃やしてしまう私は、とうとう上の写真のような電波時計を買ってしまった。気になって、コンピューターの右下に出ている時間とときどき見比べているが、いつも全く同じ。驚くほどに正確な時間を示している。でも、正確過ぎて、ちょっとつまらない気もするのよね。

これは、私の生活レベルには、秒の単位までの正確さは必要がないからかもしれない。技術の進歩に人間が拘束されているような、微妙な違和感といったらいいのか……。でも、困ったもので、一度手にしてしまった電波時計はやはり便利で、手放すことはできないだろうという、もう一人の私もいるのだ。

2006年11月14日(火)

私のところへ来てくれた「星の天使」

このとこころ私はお人形さんに、どうも縁があるらしい。20日ほど前に伊豆高原にある「人形美術館」を訪ねたのがそもそもの始まりのようだ。そのときは目と目が合ったのが縁で、「魔女の人形」を購入した。魔女というと怖い顔を想像される方も多いと思うが、この魔女さんは、とても優しく明るい表情をしている。北海道のニセコの別荘に連れていくつもりでいるが、現在は東京の書斎の一角に飾ってあり、いつも私の行動を微笑みながら見守ってくれている。

ところが、なんとまあ、その「人形の美術館」の館長さんである中島幸子さんから、先日、思いがけず二体のお人形さんをプレゼントされた。「この子たちが、モイラさんのところへ行きたがっていますので……」という心のこもったお手紙を添えて送ってくださった。これは西洋のいかにも可愛らしいお人形さんで、「アンディー」と「マリー」という名前がついている。この子たちも近々、ニセコに行く予定になっている。いずれ、これらのお人形さんたちをこの日記でご紹介したいと思う。

で、きょうは、これまた本当に驚くことがあった。お世話になっている某社社長の奥様が、上の写真のようなお人形さんを送ってくださったのだ。有名なリヤドロの陶磁器製のお人形だ。ひかえめなパステル調のカラーで彩られたリヤドロは、その表現がなんともキュートで品があって愛らしい。実は、私は以前、ショーケースの中の、まさにこの天使のお人形さんに目を奪われ、じっと飽かずに眺めていたことがあるのだ。そして、いつか買いましょうと、思っていたのよね。

11月7日の日記でも書いたが、思いをはせた対象(人でも物でも)からの反応を、「偶然」と見るか「必然」と見るかは、人それぞれの考え方だ。でも、私は多くの場合、人知も及ばない深い意識の流れの中の「必然」であると信じている。パワーストーンとの出会いも、「求めていた石が自然とやってくる」と私は言ってきたし、この人形の場合もそうした目には見えない因縁の糸があるように思えるのだ。

2006年11月13日(月)

辛い日々の向こうに幸せが……

このホームページを訪れてくださる方々は、年齢的にも職業的にも、たいへん幅広い層の方々であることは、いただく沢山のメールを通して想像がつきます。でも、その皆様には、ひとつ共通した点があるのです。それは、人生をとても真面目に生きていらっしゃる方々だということです。私もそうですが、真面目に生きるということは、けっして生き方上手ではなく、むしろ不器用なのですよね。ですから、当然、悩み事も多くなってしまいます。

かつて私もそうでした。でも、数々の辛い経験を通して、次第に決心しました。「悩み事は天に預けて、今、私にできることに全力を尽くす」と決めたのです。すると、どうでしょう。まるで重い肩の荷をおろしたように、身も心も軽くなり、毎日が楽しくなり始めたのです。それと同時に、考え方もポジティブになって、良い運を呼び込む体質が出来てきました。こうして運が好転しはじめると、とても不思議! 次々と良いことが重なるようになりました。

ですから、このホームページにおいでの全ての皆様に、ぜひとも幸せになっていただきたいのです。私は、そのお手伝いをすることがライフワークと思っていますから、私が経験して良かったこと、悪かったこと、そして確信したこと、すべてをお伝えしていこうと思っています。

昨夜も一人の方からメールをいただきました。その方は、今、失恋の哀しみの中にあるとのことですが、私が「女性自身」のウエブサイトに連載している「モイラの幸せの法則」をノートに書き写してくださっているそうです。コピペしてプリントすれば手間がいらないのにと思う方もいらっしゃるでしょう。でも、その方はあえて書き写すことで私のメッセージを受け止めてくださろうとしていらっしゃるのです。

本当に嬉しいお便りをありがとうございました。でもそれと同時に、私の責任はとても重大であると痛感しています。

2006年11月12日(日)

はじめて見るちょっと変わった植物 (浅野いずみさん撮影

来年のカレンダーというと、まだちょっと気が早いかも知れないが、例年11月半ばには購入する習慣になっている。というのは、以前、12月半ばにお店に行ってみたら、これと決めていたカレンダーが売り切れになっていたことがあった。以来、カレンダーの購入は早めのアクションというのが慣わしとなっている。

で、近くの東急ハンズに出掛けてみた。そこでまず目を奪われたのが華やかなクリスマス用品の数々。テレビのニュースなどでは、年々、華やかなクリスマスデコレーションが新興住宅地を中心に広がり、まるで観光スポットのごとく見物客まで動員する地域があるそうだ。まあ、そこまでいかなくても、小さなクリスマスツリーに星やベルを飾って、赤や青などのイルミネーションをチカチカさせ、クリスマスソングのCDでも流せば、心ウキウキするわよね。

目的のカレンダーは無事にゲットし、クリスマス用品をざっと眺めてから家に戻った。「さあ、仕事、仕事!」とパソコンの前に座ると、なんとまあ、写真家の浅野いずみさんが、クリスマス用品と見まがうばかりの画像(上の写真)を送ってくださっていた。さっき東急ハンズで見たベルの形によく似ている。浅野さんはこのホームページの「魔法のレシピ」でご協力いただいている方で、お料理の研究家でもある。この画像、初めて見るが、植物であることは確かなようで、ピーマンの変種かしらと、私は思った。わざわざリボンまでつけて、お皿に乗せてあるのが浅野さんらしい演出だ。

添えられた資料を見て、これがまさに「Christmas Bell」という名のトウガラシであることが分かった。西インド諸島の島、バルバドスで採れるもので、はじめは写真のように緑色をしているが、やがてオレンジになり、最後は見慣れたトウガラシと同じ真っ赤な色に変わるそうだ。別名としては「Bishop’s Crown = 司教さんの冠」とか「Monks Hat = 修道僧の帽子」、「Fryers Hat = コックさんの帽子」というのもある。でも、やっぱり、「クリスマス・ベル」という呼び名が一番いいわね。

2006年11月11日(土)

チョコレートキャラメル/背景:「赤毛のアンの手作り絵本」

私は「赤毛のアン」の大ファンで、20数年前には「赤毛のアン」の舞台となったプリンスエドワード島を旅した経験がある。この本を初めて読んだのは、小学6年生だったと思うが、いまだにときどき目を通すし、「赤毛のアン」関連の書籍もかなり持っている。でも、どうして突然に「赤毛のアン」のことを日記に?と、思われる方もいらっしゃるだろう。それは前回、北海道に行った帰りに買った「チョコレートキャラメル」が、今日、バッグの隅から出てきたからだ。

「赤毛のアン」のファンの方は「チョコレートキャラメル」と聞いただけで、物語のあるひとコマを思い出されると思う。でも、ご存知ない方のために簡単にご説明しよう。孤児だった主人公アンは、マッシューとマリラという老兄妹に引き取られ、育てられていた。そしてある日、町に出たマッシューがアンに「チョコレートキャラメル」をお土産に買ってきてくれた。マリラは歯のためには良くないと、兄に文句を言う。すると大喜びしていたアンが、親友のダイアナに、このキャラメルを半分あげてもいいかとマッシューとマリラに訊く。アンは「そうすれば、キャラメルが倍も美味しくなるわ」と言う。アンが自分の部屋に入ったあと、マリラがマシューに言った。「アンのいいところは、ケチンボではないことですよ」

このシーンが私の脳裏に深く刻み込まれていて、以来、チョコレートキャラメルを見かけると、買ってしまうクセがついた。チョコレートキャラメルを口に入れると、いつでも胸がキュンとなる。口やかましいマリラではあるが、こころの底ではアンに対する深い愛情をもっている。そんな切なくなるような感動が時を超えて、私の琴線を振るわせるのよね。今度また「チョコレートキャラメル」を見かけたら、おそらく反射的に、少なくとも3箱は買ってしまうだろう。

2006年11月10日(金)

フランスとイタリア国境に位置する白峰

先日、打ち合せの席上、ある人が頼んだケーキが運ばれてきた。ところが、テーブルの上に置かれたそのケーキ、見た目、どんな味がするのか想像もできないような独特な色と形状のものだった。向かいに座った一人が「それ、なーに?」と注文した人に訊いた。「なんだろう……」注文者ご本人も肩をすぼめてみせた。「モンブランかしら?」他の一人が言った。ふだん見かけるモンブランとは形はちがうけれど、表面の飾りは、麺状に絞り出された黄色系のクリームがのっていて、モンブランを彷彿とさせる。

フォークで一口そのクリームを口にしたご本人が、「なんか、栗みたい」と言った。「だからモンブランでしょ!?」「モンブランって栗のことだっけ?」こうなると、あーでもない、こうでもないと議論に花が咲いて、ある人は、携帯の辞書で確認してみたが、その場では明快な結論が出なかった。

ふと、そのことを思い出し、今日、調べてみた。その日の混乱は、「栗=モンブラン」という思いこみに一同が支配されていたことなのよね。なるほど、モンブランのクリームには栗のクリームを使ったものが多い。でも、モンブランのネーミングの元は、フランスとイタリア国境に位置する山の名前。「Mont」は「山」を、「Blanc」は「白」という意味のフランス語で、「白い山」を意味している。だから、このケーキの名前はむしろ山の形からきており、白い生クリームは雪を表しているのだそうだ。

ところが、調べているうちにこんな面白い事実も見つけた。モンブランというケーキの元祖問題だ。一般にはパリの老舗カフェ「アンジェリーナ」であるという説が有力だが、東京・自由が丘の「モンブラン」という説もあるそうだ。フランスの老舗カフェは創業が1907年であるが、いつごろから「モンブラン」なるケーキを作っていたかは定かではない。一方の東京・自由が丘の「モンブラン」は、1933年に店主がフランス・シャモニーを旅した際にモンブラン山を見て、帰国後、それをケーキにしたという。真実は神のみぞ知るね。

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