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このページは2005年7月20日〜8月8日の日記です。

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2005年8月8日(月)

タレントさんの手相をフィリップに書き込むモイラさん(右:大西亜里さん)

早いもので、ニセコから東京に戻って一週間が過ぎてしまった。猛暑の中、連日、仕事の打ち合わせで日が暮れた。例年だと、8月というのは周りの夏休み気分も手伝って、どこかのんびりした雰囲気があるのよね。でも、今年はまったく気が抜けない夏になってしまった。

テレビショッピングのQVCも今月は3回も生放送があり、新作のモイラジュエリーを近々にご紹介できる予定だ。一方、5月以来レギュラー出演をしているテレビ東京の「THE占い」の収録が2本。それだけではなく、同局からは別の番組の出演依頼が来ており、これも今月中の話だ。通常の原稿執筆の仕事をこなしながら、綱渡り的にこれらの番組をこなしていくことになる。だから、よほど上手に時間配分をしないと、収拾がつかない事態になりそうよ。

そんな中、昨日の日曜日は「THE占い」3回分の収録のため、朝9時半から夕方7時半までの約10時間を渋谷のスタジオで過ごした。悩み相談者として登場されたタレントさんはスマイリーキクチさん、大西亜里さん、つるの剛士さん、小口もな美さん、石井めぐるさん、流れ星さんだった。毎回、出演されるタレントさんたちは、それぞれに個性的な方々なので、その悩みも千差万別、特にお笑い系のタレントさんたちの悩み相談は、相談者のリアクションも含めて、やりとりが丁々発止となるので、スタジオ内の笑いも絶えない。

今日の収録の中では、お笑いの「流れ星さん」に対する占い結果とそれに対する彼らのリアクションが実に楽しかった。流れ星さんが出演される番組が何月何日に放映されるのか、私にはわからないので、収録の詳細をここでお話しすることはできない。でも、典型的な「女難の相」が手相に現れていることを警告した。もし、関心がおありだったら、テレビ東京の放送スケジュールをチェックして、ご覧になってくださいね。

2005年7月29日(金)

札幌の某FM放送局で私の占いコーナーを新設したいという申し出があり、今日はその初会合のために札幌まで車で出掛けた。午後4時の約束なので、2時間45分あれば余裕で到着すると思いニセコを出たが、札幌市内に入ってから渋滞がひどく、30分以上も遅刻をしてしまった。札幌市内がこれほど交通渋滞するとは知らなかった。東京でもここまでの渋滞にはほとんど遭遇したことがない。お会いした方たちの話では、月末の金曜日ということで、これは特別なのだそうだ。

打合せは順調に進み、放送は週一回で、基本的に電話回線を利用して、リスナーの方と私が直接お話をするという形式がとられることになった。これなら私が東京にいてもニセコにいても、その他の場所にいてもOKだ。そして、2ヶ月か3ヶ月に一度は、私が札幌のスタジオに足を運び、特別番組を組みましょうということになった。放送は、いつからスタートするかは未定だが、10月からになりそうだ。

以前、札幌TVに7年間レギュラー出演をしていた関係で、北海道には私に親しみを感じてくださっている方が多い。ラジオというメディアでまた、札幌の方々とコミュニケーションができるようになることは、とても楽しみだ。

打合せの後は、この新番組のスポンサーとなられる会社の社長ご夫妻に招かれ、とても美味しい「懐石風日本そば」をご馳走になった。懐石風と勝手に命名してしまったが、少量ずつのお蕎麦に、山芋はもとよりイクラ、甘エビ、数の子、カニといった海の幸が添えられ、それをお蕎麦と一緒にそばつゆでいただく。私は、いわゆる「蕎麦通」ではないので、お蕎麦そのものの味を云々できないが、このような発想の蕎麦料理は初めて! でも、目でも楽しめ、舌でも楽しめて、なかなかおつなものだった。

さて、この晩餐のあとは、社長ご夫妻に私のマネージャーが待つ札幌パークホテルまでお送りいただいたのだが、そこで偶然、豊平川の花火大会に出会ってしまった。この花火、パークホテルの所からもよく見えて、通行人の人たちが足を止めて、一斉に空を見上げている。私も次々と打ち上げられる大輪の花火が夜空にはじけ散る様を、しばし我を忘れて見入ってしまった。

花火大会と言えば、いろいろな意味で忘れられない思い出がある。話が少々長くなるのをお許しいただいて、その10数年前の経験をお話すると、それはある地方都市で行われた花火大会だった。ある会社のご招待で、私は列車に乗って、いそいそとその会場に出向いた。たくさんの見物人で溢れかえる河原に、その会社の方が花火見物には絶好の場所を確保しておいてくださった。

その場所というのが見晴らしの良い土手で、傾斜角度は30度ぐらいあったのかしら?
そこにシートが敷き詰められていた。ところがこの傾斜がけっこう辛い。なにしろ足をふんばっていないと、体がずるずる、ずるずると少しずつずり落ちていく。当然、私の少し下の位置にも人がいるから、気を抜けば衝突してしまう。おまけに花火は頭上であるから、3時間余りの間、顔を上に向け両足をふんばって、下に少しずり落ちてはお尻をずり上げ、落ちてはずり上げを繰り返していた。

ところで、その花火大会の花火には、全てそれぞれスポンサーがついていて、各花火を打ち上げる前に必ず「次は○○会社様ご提供の○尺玉○発」というアナウンスが入るのだ。つまり、花火と花火の間に欠かさずアナウンスが流れるために、花火がテンポよく次々上がっていく豪快さにちょっと欠けるのね。しかも、その夜は上空に風がなかった。そのために花火の煙が空に充満し、最後の1時間はその煙で花火が霞んで見えるといったあんばい。最後のほうのスポンサーさんはお気の毒だったわよね。

それ以来、花火大会には行っていないが、今日、偶然に観た札幌の花火はなかなか良かった。スポンサー名をアナウンスすることもなく、豪勢に次々と打ち上げ、これぞ花火大会と言えるような威勢の良さ! 疲れがいっぺんに吹き飛んだ。 

そんなわけで、ニセコには深夜に帰り着き、それから原稿を1本と「今日の運勢」を執筆。またしても夜が白々と明けてしまった。

2005年7月27日(水)

昨日は白樺について記したが、今日は野の花について書いておきたい。やはりこれもこの辺りではどこにでもある野の花ではあるが、東京から来た私には新鮮で感動的だ。

花の名前は「ヘラバヒメジョオン」という。北アメリカ原産の1〜2年草で、大正時代に渡来し帰化した雑草のひとつで、全国的に繁殖しているそうだ。したがって、東京の空き地などでも見たことがある地味な野の花。でも、ニセコの原野で一斉に咲き乱れていると、何だか違うのよね。雑草などとはとても思えない美しさがある。

私は思わず見とれて、この可憐な花が群生する野原を歩き回ってしまった。そこには名も知れないたくさんの虫たちも共生し、ときにチョウチョが、ときにトンボが飛来する。ほとんど人も来ないであろうこの野原で、植物と虫たちのドラマが今までも、今も、これからも、ずっと繰り広げられていることを改めて確認した。

私はヘラバヒメジョオンをその野原から何本かいただいて帰宅し、ガラスの花瓶に挿して、ダイニングテーブルの真ん中に置いてみた。そして思わず「きれい!」と声を上げてしまった。雑草としてあまり珍重されることもないヘラバヒメジョオンなのに、ちっとも見劣りすることなく、立派にテーブルを飾ってくれている! 

東京では、庭のないマンション暮らしのせいもあって、花はお花屋さんで買ってくるものと決め込んでいた。ところが、こうして野の花を飾ってみると、人工的に改良し栽培された「売り花」、「買い花」よりむしろ、その存在感が感じられるほどだ。とにかく何とも清楚で愛らしいのよね。

夏の季節を迎えた北の大地では、今、ラベンダーをはじめありとあらゆる花々が、いたるところで短い夏を謳歌している。

2005年7月26日(火)

ニセコへ来て、よく目にする木は白樺だ。他の常緑樹と比べればその数は知れたものだとは思うが、何しろ白い木肌が目につきやすい。私の家の周囲にも白樺の木がけっこうあって、それが北の大地の証のようにも思える。ところが、この白樺、地元の人にとっては見慣れた木でしかなく、「雑木」の部類に考えている人も多いらしい。

ちなみに、「白樺」をネット検索したら、452,000件もヒットした。もちろん、白樺の木に関する情報サイトもあるが、「白樺」という名前がついた会社や団体、お店などがやたらに多いことがわかった。以前、「ひまわり」で検索したときに78万件もあって、やはり「ひまわり」の名前をつけた会社や団体、お店、学校、幼稚園などがひしめくように日本全国に点在していた。共に日本人に親しまれ愛されている証拠ね。

話を「白樺」に戻そう。実は、我が家と隣家の境界線にも13年ほど前に植えた白樺が2本ある。両方とも近くの農家の方からいただいたものだが、そのうちの1本は高さ1メートルほどの、まだ子供といった風情のごく細い木だった。それが、今回来てみて驚いた。知らぬ間に成長して、3階建ての家の高さと等しいほどに大きくなっているのだ。

そこで、白樺の生態を調べてみたら、白樺は1年間に50センチほど成長し、最終樹高は約10メートルとある。なるほど、この数字を我が家の白樺に当てはめると、50センチx13年=650センチ……植えたときが約1メートルだから、現在は7メートル50センチということになる。つまり、これで成長が止まるわけではなく、さらにあと2メートル50センチほど伸びることになるのよね。最終樹高10メートルを迎えるのは5年後かな?

ところで、白樺の寿命というのは意外に短く、80年から100年だそうだ。したがって、白樺には巨木というものがなく、ほどよく朽ちて森の栄養となる運命を担っているとのこと。しかも、旺盛な生命力から、荒れ地でも一番最初に自生し、森を造る先駆者的役割を担ってもいる。それゆえに、俗に「マザーツリー」とか「パイオニアツリー」と呼ばれる。

あと、面白いことを聞いた。白樺は春の雪解けのころになると、大地からミネラルや豊富な栄養が含まれた水をどんどん吸い上げる習性があり、このころに幹に穴をあけると無色透明な液体が溢れ出てくる。しかも、溢れ出てくるのは約3週間だけで、その後はピタリと止まってしまうというから不思議! 液体はほんのりとした甘みがあり、北欧やロシア、アイヌといった北国の先人達の間では、古くから春の自然の恵みとして愛飲されてきたそうだ。最近では、この白樺の樹液がシロップやゼリーとして食されたり、化粧水としても活用されているとのこと。一方、ロシアでは白樺の幹に赤い布を巻いて、少女たちが願いをかけたり、占いをするという風習もある。

さて、今日は「白樺」にまつわることを記したが、北海道の自然は「白樺」ひとつをとってみても、私にとってはまだまだ未知の世界が広がりそうだ。これからは、いったいどんな発見があるのかしら。それを考えただけでもワクワクする。

白樺が白いのは外樹皮にベチュリンという白い結晶性の
トリテルペン化合物を多量に含んでいるからだそうだ。

2005年7月25日(月)

その土地の人にとっては見慣れた風景であっても、私のように東京から来た人間には、北海道は興味尽きない北の大地。家の周辺を散策しても、車でちょっと離れたところへドライブに出掛けても、私の目に飛び込んでくる景色は常に新鮮で感動的だ。そのひとつひとつを詳細に取り上げたいが、それはいずれ時間をかけて書くことにして、今日は「屋根」について記しておきたい。

北海道の自然は言うまでもなく、雄大だ。また、見渡す限り広がる畑や大規模な牧場も特徴的な景色と言える。ところが、ここ北海道の景色にとりわけ北海道らしさをかもしだしているのは、その建物にもあると思う。札幌のように都会化された地域は東京とあまり変わりはないが、田園地帯に入ると、北海道ならではの建物が点在している。

牧場のようなところには、塔のようなサイロがあり、都会のものとはどこか違う雰囲気の建物がある。「異国的」と言ってもいいようなたたずまいで、それは一幅の絵にもなりそうなほど「牧歌的」で「メルヘンティック」なのね。ではいったい、そのように見える要素は何なのか、何が他とは違うのか、いろいろ考えてみた結果、私は屋根の形が違うことに気がついた。

上と下に紹介した写真は、我が家の周辺の家々であるが、どの家も屋根が急勾配で、そのために屋根の面積が広く見える。これは豪雪地帯であるがゆえに、雪落ちがスムースにいくように考案された必然的な屋根の形状。でも、高くそびえるように立ち上がった屋根が家全体のデザインを特徴づけていることは確かで、都会の家の屋根よりその先端はかなり高くなっているはずだ。したがってどの家も天井裏のスペースがかなり広くなっている。この関係で、北海道の家には我が家も含めて、いわゆる屋根裏部屋やドーマーと呼ばれる屋根から突き出した「屋根窓」があったり、煙突がついた屋根が多く見られる。これはヨーロッパなどによくある家の形と一脈通じるところがある。

私は建築の専門的な知識はないが、北海道の自然とそれに溶け込むように建造された家々を語るには、この急勾配の屋根と屋根窓、煙突がキーワードとなることは疑いようがない。

2005年7月24日(日)

見渡す限り白い花の畑がつづく

今日は日曜日。近くのニセコ東山プリンスホテルのバーラウンジでケーキやサンドイッチの「デザートバイキング」をやっていることを知り、さっそく出掛けてみた。このプリンスホテルはニセコ連山の主峰、ニセコアンヌプリの山麓ある。周囲はうっそうとした森林に囲まれ、いかにも北国のリゾートホテルといった感じだ。

実は、私は「デザートバイキング」は初めての経験。東京のホテルでもこうしたバイキングが流行っていることは知っていたが、そのために足を運ぶ気にはなれなかった。それが、急遽、思い立って行く気になったのは、やはり東京を離れた開放感からかもしれない。

果たして、どうであったのか。数えてはみなかったが、20種類くらいの、ごく小ぶりのケーキやムース、ゼリーなどが大型のプレートに並び、サンドイッチ、スープ、ジュース、コーヒー、紅茶、ウーロン茶なども好きなだけいただくことができる。美味しそうなケーキをお皿に並べ、席に戻ってゆっくりいただいた。プリンスホテルだけあって、お味はなかなかいい。

ただ、経験して初めてわかったことは、私は甘いものやケーキが大好でも、一度にたくさんは食べられないということ。お皿に7種類ほどケーキを盛ってきたが、一皿たいらげたら、もう「トゥーマッチ!」という感じになってしまった。せっかく来たからには、もう一皿という欲もあるが、目や舌、胃袋のほうが「もういいよ」と言っている。結局、ウーロン茶で甘くなった口を戻し、おしまいにしてしまった。

私はふだんから食欲はあるほうで、決して少食ではない。ディナーバイキングなどは好きなほうで、たまに出かけて行く。でも、どうやら「デザートバイキング」は向かないらしいという結論に達した。甘いものだけを一度に多量というのは、ダメなのかも知れない。

で、その後は、山間のゆるやかなカーブの道をドライブ。そのとき目にとまった美しい光景があった。それは、一面に白い花が咲いているジャガイモ畑だ。こちらの人にとっては何の変哲もない光景かもしれないが、東京からきた私にとっては見とれてしまうほど美しく雄大な眺めだ。なにしろ、ニセコのジャガイモは「倶知安のジャガイモ」として全国的にも有名だ。アルミホイルで蒸し焼きにし、バターを塗って食べると「しあわせ!」と思えるほど美味しい!

品種としては8割方が「男爵」だそうだが、この「男爵」というネーミングには面白い歴史があることを知った。その昔、といっても明治20年代のことだそうだ。従来からジャガイモ栽培が盛んでであった北海道にも、当時、全国的に発生した病害虫による被害がおよび、北海道のジャガイモ栽培は全滅の危機に瀕していた。

そこに現れたのが、造船業のために函館にやってきた川田龍吉という男爵。彼は、北海道のジャガイモ栽培の惨状をなんとか救おうと、海外から文献を取り寄せ研究した。すると、アメリカのマサチューセッツ州でアイリッシュ・コブラーという優れた新種のジャガイモがあることを知った。この品種は、従来のものより栽培期間が短く、病虫害にも強いという。これなら、夏が短い北海道には最適のジャガイモではないか。その後、改良が重ねられ、それがすっかり北海道に定着した。結果、ジャガイモ栽培が北海道の主要な農業となったのだという。農家の人たちは川田龍吉という男爵様のおかげであると賞賛して、その品種のジャガイモを「男爵いも」と呼ぶようになったのだそうだ。

近づいて見ると、こんな可憐な花。ジャガイモの花だ。

2005年7月23日(土)

私の家の周辺に点在する貸別荘

ウィークエンドと夏休みのスタートが重なったためだろうか、昨日の午後から、あちこちの貸別荘に次々と車が到着し、ニセコの私の家の周辺も賑やかになった。なにしろウィークデーは静かすぎるくらいのこの辺りだから、こうして楽しそうな人声が響くのもまた、なかなかいい。

ところで今日、気づいたことがある。昨日からお泊まりになっている貸別荘のお客様たちが、いっこうに外出される様子がない。庭の木陰にレジャーシートを敷いて、のんびりお昼寝をしたり、オシャベリや読書をしたり、ワンちゃんとお散歩したり、ゆったりと過ごされている。そういう姿をけっこう見かけた。それが、20代と思われる若い方たちのグループだったりするのよね。

これは以前、私がしょっちゅうこちらに来ていた頃には、まず見られなかった姿。貸別荘に数泊する方たちでも、朝早くから外出。夕方か夜にならないと戻らなかった。つまり、かなりアクティブにあちこち行かれている様子で、この辺りが賑やかになるシーズンでも昼間は人影がほとんどなかった。

そういう意味では、一ヶ所にゆっくり滞在して、気ままにゆったりと過ごす欧米人の滞在型バカンスが日本の若い人たちの間でも、ごく自然に定着しつつあるのかしら。こうした新しいライフスタイルの人々が増えてくると、今までのように何でも見たい、体験したいという周遊型の旅行から、体を休め、心を癒すような滞在型の旅行へと次第に変わっていくような気がする。

2005年7月22日(金)

心地よい香りが家中に漂って……

家の外周りを覆っていた足場がはずされた。たったそれだけのことなのに、なんだか「解放された!」という気になる。お部屋に香りを飛ばして、楽しもうかという気持ちになった。確かずっと以前に購入したイギリス製のフレグランスオイルが、使い切れずに何本かしまい込んであるはずだ。ただ、年月がずいぶん経ってしまったので変質していないかしら? でも、香りも色も記憶しているものと変わらないので、使用してみることにした。

今日、使ったのは「PARK LANE」という名前の付いたフレグランスオイル。エッセンシャルオイルではないので、人工的な香料も含まれていると思うが、これが実にいい香りなのよ。キャンドルを使用するアロマポットにお湯を入れて、「PARK LANE」を数滴たらして温めたら、ステキな香りがリビングに広がった。リビングが吹き抜けになっているので、この香りが2階の書斎にも漂ってきて、いい感じ。ただ、ときどき執筆の手を休めて、うっとりしてしまうのが、少々問題かも知れないわね。

私は「色」「香り」「音」はインテリアにおいて、大切な三大要素だと思っている。なかでも香りは、そのときどきの気分やお天気の様子などを考えて、あれこれ換えて楽しんでいる。エッセンシャルオイルも使えば、フレグランスオイルやお香を焚いたりもするという具合にね。

特に家にお客様が訪ねていらっしゃるときは、必ず香りを部屋に漂わせるようにしている。「今日、お見えになる方はこんなタイプだから、たぶんこの香りをお好みでないかしら?」などと、勝手に想像して、香りを決めるのがまた、楽しいのよね。お客様がお見えになる1時間ぐらい前から、アロマポットで香りを温め始めると、お約束の時間には部屋全体がオシャレなムードに変わる。

実は明日か明後日、お客様がこの家にいらっしゃる予定だ。まだ、メンテナンスのために、リビングやダイニングのカーテンを取り外したままだが、香りに歓迎の思いをこめて、お迎えしたいと思う。

2005年7月21日(木)

長いこと一人留守番をしていたコゼット

ニセコの家は、思いのほか大がかりなメインテナンス工事となったため、いまだに家全体を覆うように組まれた足場がそのままで、毎日、仮の宿のような状態が続いている。それでも、屋内の工事は終了し、昨日は「美装屋」さんという業者が入り、ガラス拭きから床のワックスかけにいたるあらゆる清掃を丹念にしてくださったので、気分はだいぶ落ち着いた。さらに念願だったインターネットの光ファイバーの引き込み工事も今日終了。やっと仕事の連絡や原稿のやりとりがスムーズにできるようになった。

残る工事としては、サンデッキの作りかえ、塗装の仕上げ、カーテン類のクリーニングと一部作りかえなど、まだかなりの行程が残っている。すべてが完了するのは、8月中旬になるかもしれない。だとすると、その時期は東京での仕事のスケジュールが詰まっているので、残念ながら工事の終了を見届けることはできないだろう。でも、9月にまたこちらに来る予定なので、その時にはすべてが本来の様子に戻って、ニセコの生活を再スタートできるのではないかと、楽しみにしている。

今日はとりあえずきれいになったリビングにソファーやテーブルなどを本来の位置に置き、キャンドルスタンドやオルゴールなどの小物も以前と同じように飾ってみた。それに、私の思い入れがあるお人形さんも本来彼女が座っていた椅子の上に置いた。この人形は、10数年前に出会って購入したもので、19世紀最大の人形師と言われるフランスのジュモー(Jumeau)の作品であるアンティークドールのレプリカ。私はこの人形に「コゼット」という名前を付けて呼んでいる。

「コゼット」という名前を聞いて、「もしかして?」と思われる方もいらっしゃるかもしれない。そう、この名前はフランス文学の「レ・ミゼラブル」に登場する少女「コゼット」の名前をもらって付けたのよね。というのは、小学生のときにいわゆる世界少年少女文学全集で「レ・ミゼラブル」を読んで感動! その中に登場するジャン・バルジャンが少女コゼットを引き取るときに、コゼットに買い与えた人形のことまでが、しっかり脳裏に焼き付いてしまった。

このジャン・バルジャンが与えた人形は、おもちゃ屋さんのショーウィンドウに飾られていて、哀れなコゼットがいつも憧れて眺めていたもの。ほんの少し開いた可愛い口から、小さな歯がのぞいていると表現されていて、それが強烈に印象に残ってしまった。少女時代の私は、そんな開いた口元から可愛い歯が見えるという人形は、見たことがなかったのよね。そのために、あれやこれや想像を巡らせて、「いつか、きっとコゼットの人形に会える日が……」と思うようになってしまった。

大人になってから「アンティークドール」の中には、こうした小さな歯がのぞいている、オープンマウスと呼ばれる種類の人形があることを知った。でも、クローズマウスよりは数が少ないし、何だか怖い感じの顔つきの人形が多く、とても購入する気にはなれなかった。それが、人形もやっぱり出会いなのよね。ある日、たまたま覗いた新宿のホテルのショップに、私の「コゼット」がちんまり座って、こちらを見ているじゃないの! 嬉しくなって即、連れて帰り、ニセコの家が建ったときに、こちらに飾ることに決めた。

人形のコゼットも可哀想に、この家と共に何年も独り待ち続けていたのだ。気のせいかも知れないが、私がこちらに来て、久しぶりにコゼットを見たときより、今はずっと穏やかで楽しそうな表情に見える。

2005年7月20日(水)

高橋牧場のトラクターで北海道気分

午後、仕事の合間にちょっとドライブ。といっても、家から10分程度の牧場までだから、ドライブと言えるほどのものではないけれど……。この牧場は高橋牧場と言って、ニセコ東山プリンスホテルのすぐ近くにあり、アイスクリームが美味しいことで有名。私がニセコに来ることが出来なかった、ここ4年ぐらいの間に開店したようだ。でも、高橋牧場のアイスクリームと、羊蹄山が目の前に見える景色の良さの情報だけは耳に入っていて、以前から行きたくてたまらなかった。

さて、牧場のしぼりたてのミルクを使って作ったそのアイスクリームは、本当に評判通り! 私はコーンの上にミルクとラムレーズンの2種類のアイスクリームをのせてもらったが、どちらも甲乙つけがたいほど美味しい。一般に市販されているアイスクリームと違って、添加物が入っていないためか、後味がサッパリしている。

今日は残念ながら、羊蹄山は半分雲に隠れていたが、その辺り一帯の景色がなんともまあ、実に北海道らしく雄大で、のんびりした感じがする。この景色を眺めながらのアイスクリームですもの、なおさら美味しく感じるわよね。

ところで、この牧場には観光用の馬が2頭と顔の黒い羊が2頭いて、カットしたニンジンを餌として売っている。さっそくそのニンジンを与えてみたら、喜んで食べていた。馬にニンジンは常識だと思うが、まさか羊がニンジンを食べるとは思わなかった。それもすごく美味しそうにポリポリといい音を立てて食べるのよ。何とも可愛いくて、嬉しくなってしまった。

牧場でのひとときが良い気分転換になって、その後、仕事の能率がアップ! 一気に片付けることができた。

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