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このページは「結城モイラのホームページ」を制作・運営する
「スタジオM&J」から見た結城モイラさんを紹介するサイトです。
モイラさん自身からは語られないであろう隠れた面白い逸話も多く、
モイラさんファンにとっては大変興味あるページになると思います。
また、ホームページ制作のウラ話や制作サイドからのお知らせも適宜
掲載しますので、ホームページの日々の進化を
より身近に感じていただけると思います。
ご期待ください。
Inside Report #015 ------------------------------------------------------ | ||
モイラさん、お疲れ様でした。 このホームページがスタートしたのは2003年12月1日です。最初に始まったのは「モイラの日記」。次に始まったのが「今月の運勢」。2004年1月9日のアップでした。そして翌日の1月10日からは「モイラの愛の手相講座」がスタートしました。その一週間後の1月16日には「西洋のお守り」のページが新設されました。さらに翌月の19日には2004年2月20日の「今日の運勢」がスタート。ついに日運の掲載に手をつけてしましました。始めたら最後、土曜も日曜も祝日もなく365日休むことができないことは初めからわかっていました。それがなんと3,350日間、一日の休みもなく2013年4月30日までつづけてこられました。仕事が重なる徹夜続きの日も、仕事やプライベートの旅行の最中も、風邪などの高熱の日も、モイラさんは「日運」をおろそかにしませんでした。 星座の動き、自然現象、政治経済、社会情勢などを見つめながら、各星座の方の運勢を占い、それをどう文章で表現し、読者の方々へ伝えていくかにモイラさんは全神経を注いでいたようです。送られてくる原稿が再三修正されることもしばしば。修正箇所を見ると、ネガティブな言葉はポジティブな言葉に置き換えられていました。「そうか、モイラさんはどのような運勢の中でもポジティブに生きられますよと読者に伝えたいのだな」と納得しました。真摯に、誠実に、変わることのないモイラさんの姿勢には今更ながら敬服です。 しかし、生身の人間、いつまでもハードワークを続けることは無理です。「10年間は…」というモイラさんの目標はあったようですが、3,350日間(9年間と65日)も貫徹できたのですから、誰も文句は言えません。どうぞ今までのハードワークから解放されて、英気を十分に養ってください。この「結城モイラのホームページ」はこれからも閉じることはありませんので、余力ができたらまた何か読者の方々へ新たなメッセージを発信してください。「読者のページ」でもお分かりのとおり、ほとんどの読者の方々の「想い」はひとつのようです。バックオフィスであるM&Jとしても、同じ「想い」ですので、これからもできるだけのことをしてゆきたいと思います。 |
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Inside Report #014 ------------------------------------------------------ | ||
25年前のモイラさん、見つけた! 先日モイラさんからギリシャ神話関係の分厚い書籍を数冊お借りしたら、その中の一冊に四つ折りになった紙がはさんであった。いくらか紙も黄ばんで、だいぶ以前のものと察しがつくが、もしやヒミツの恋文でもとゲスな勘ぐりを頭に描きながら、そっと開いてみた。すると、その紙は「夕刊フジ」昭和57年2月15日号の全ページ記事のコピーだった。なんとモイラさんが愛犬バンビを抱いた写真が大きく載っているではないか。昭和57年と言えば、エ〜ト、エ〜ト、いまから25年前の記事。モイラさんも今のモイラさんとは違い、髪もロング。顔も初々しさが感じられる(今がどうのとは言っていない)。記事に目を通してみると、もうこのころにはモイラさんは「週刊少女コミック」、「小学六年生」、「レモン」、「蛍雪時代」、「日刊スポーツ」など10数誌(紙)に連載を持つ超売れっ子占い執筆家として活躍していた様子。当時の中高生のあこがれのお姉さんといった存在とも紹介されている。なるほど、その頃のファンの方々が今もなおモイラさんのファンであり、その方々のお子さんがまた小学館やベネッセの学年誌を通してファンとなっているという、モイラさんならではの「親子二代ファン」という珍しい構図が出来上がっている。でも、記事は、「あなたは、狐狸庵(こりあん)さん、遠藤周作じいさんの恋人ですか?」という質問からはじまっている。このInside Reportでもたびたび取り上げてきた遠藤周作氏との関係は、新聞記者の間でも当時からつとに有名であったことがうかがえる。 ま、何はともあれ、大発見の25年前の「夕刊フジ」をご覧あれ。 詳細は ⇒ こちら |
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Inside Report #012 ------------------------------------------------------ | ||
モイラさんと詩歌 ある日、東京から70キロほど離れた地方のホテルのイベントに参加するため、こちらモイラさんを車でお連れすることになった。その日は穏やかな日本晴れであった。朝日はまぶしいほどに降り注ぎ、高速道路から見渡す山々は輝くばかりであった。こうなると、仕事というより車内は行楽の気分。と、モイラさん、「お猿のかご屋はホイサッサ……」となにやら懐かしい童謡を歌いはじめた。こうなると止まらない。モイラさん、次々と童謡を披露。しかし、どうしてこんなにもたくさんの童謡を諳んじているのだろう。「モイラさん、どうしてそんなに童謡、知ってるんですか?」「子供のころ童謡のレコードをたくさん聴いていたせいね」「へー」こちらそれ以上の言葉はない。「童謡クイズみたいのがあれば、私、自信があるんです」「へー」「ほとんど三番までの歌詞、憶えてますよ」「へー」それから、約1時間、モイラさん次々と三番までの歌詞を正確に歌って聴かせてくれた。 そのとき以来、「モイラさんは童謡が好きなんだ」という記憶がこちらの脳裏にインプットされた。そして最近、仕事の打ち合わせをしていると、話がいつの間にか詩歌に及んだ。そこでまた、こちら舌をまかれる羽目となった。モイラさん、藤村、光太郎、白秋といった詩人たちの詩歌をことごとく諳んじているのだ。「ここのところがいいでしょ?」「はい」「藤村はこういう思いだったのではないかしら」「はい」「白秋にはこんな詩もあるのよ」「はい」こちら、ただただ受け身。 なるほど、モイラさんの文章がいわゆる「モイラ調」と言われ、心地よいリズムと旋律が感じられるのは、モイラさんが子供のころから親しんだ童謡や、藤村、白秋をはじめとした詩歌に内包されたリズムと旋律が生きているに他ならない。近年、「声にして読みたい日本文学」が提唱され、そうした啓蒙活動が行われるようになったが、文章というものは一朝一夕にそなわるものではなく、言葉の吸収力が旺盛な子供のころがもっとも大切であることを、モイラさんのふとしたエピソードから痛感させられた。 |
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Inside Report #007 ------------------------------------------------------ | ||
モイラさんと通販 書斎にこもって原稿に追われるモイラさんなので、通販はモイラさんのかっこうの気晴らしのようだ。その証拠に、モイラさんと話していると、「どこどこのスモークサーモンは最高よ」、「どこどこのプディンを食べると、今までのプディンは何だったかのかと思うの」、「なんとまあ、こんな面白いもの見つけたの」などと通販行脚の話は尽きない。 この日も、モイラさん、目を輝かせて「すご〜く面白いもの買っちゃいました」とはじまった。注文したばかりなので、物はまだ届いていないが、モイラさんの説明によると、ノズルのような突起部を耳の穴に差し込んでおけば、黙っていて耳の中を掃除してくれる電動器具とのこと。要は小型の掃除機のようなもので、耳クソ、いや失礼、耳アカ、いやこれまた失礼、ま、「耳のお粉」とでも言っておこうか、これを電動で吸い取ってくれる機械なのだ。 そして、一ヶ月後、「こないだ言ってらした耳の掃除機、どうでした?」----こちらふと思い出して、訊いてみた。「それがね〜、少しも吸ってくれないんですよ」「え? ダメなんですか?」「ダメってわけじゃないんですが、……ちょっとね」「ちょっとねって?」「吸い方がもっと強力ならいいのかも」 こちら、ちらっと悪戯ごころが頭をもたげて、「モイラさん、そんな強力だったら、鼓膜はもとより、脳みそだって吸い取られちゃいますよ」「ウワー! 止めて、止めて、止めてください! もう気持悪くなってきたわ」 こちら、もしかしてその機械、もらえるのではないかと助平ごころ。「ぼくだったら、なにか別のことに使えるかもしれませんね」「でも、使ってますから、大丈夫ですよ」「使ってますって?」モイラさん、ちょっと恥ずかしそうな目つきで、「あのね、耳のお掃除はいままでどおり、耳掻きでするんです。それをティッシュペーパーに乗せて、それを吸い取ってるのよ」「え?!」「じゃ、意味ないじゃないですか?」「いいんですよ、けっこう楽しいんですもの」---もう何をか言わんやである。今夜もきっと、その機械は見捨てられることなく、モイラさんの手近に鎮座ましまているに違いない。 |
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Inside Report #006 ------------------------------------------------------ | ||
モイラさんと500円玉 「その500円玉くださらない?」 --- 打合せでお茶を飲んだときの支払のおつりを見たモイラさんの依頼だった。「かまいませんけど……」 --- こちらそう答えながらも、「お茶代払ったうえに、なんで500円あげなきゃいけないの……」こころの中で不満が湧き上がる。「じゃ、これで」モイラさんが1000円札を差し出した。こちらほっとして小銭入れからおつりを探す。「いえ、いいんです。おつりはいりませんよ」「あっ、そうか、スマートに自分のお茶代を払ってくれたというわけか」こちらそれで納得。 ところがまたある日、同様に「その500円玉くださいません?」とモイラさん。こんどはお茶代とは関係がなく、こちらの買い物のおつりを見たモイラさんの反応だった。100円玉5枚との交換かと思ったら、またしても「おつりはいりません」といって1000円札が差し出された。 と、こんなやりとりがその後も何回も続いた。500円玉が1000円札に化ける! こちらすっかり味をしめて、モイラさんの前では500円玉を何気なくちらつかせる習慣。しかし、なぜモイラさん、500円玉を欲しがるのか。もしや、500円玉のコレクター? だが、ありふれた500円玉……、こちらの疑問は膨らんだ。「モイラさん、どうして500円玉欲しいんですか?」モイラさんの目がヒミツっぽく光った。「あのね、ドラえもんちゃんが待ってるんですよ」 こちら、さっぱり分からない。「ドラえもんちゃんって?」「……ドラえもんの貯金箱があるんです」「ああ、貯金か……」こちら合点がいった。 いや、合点がいかない。貯金ならわざわざ500円玉を1000円札と交換するはずがない。モイラさんの経済観念が疑われる。そこで訊いてみた。「500円玉貯めてどうするんですか?」「それが私にも分からないの。ともかくドラえもんちゃんが待ってるのね」 --結局、その後も訊いてみたところ、モイラさんは、5、6年前に小学館のパーティーでもらったドラえもんの貯金箱をえらく気に入って、それには500円玉を入れてあげると決めたらしい。以来、モイラさんは、いわば「パブロフの○○」のように500円玉を目にすると、条件反射的に「欲しい!」という抑えがたい欲望に支配されているというのが結論?かな……。 と、こんな結末なのだが、モイラさんにはこのような面白い話がたくさんある。おいおいご紹介したい。ちなみに、前記のドラえもんの貯金箱は、耳をかじりとられる以前の黄色い姿で、パーティーの際の記念品(非売品)であり、マニアの間ではプレミアムもつく大変貴重な一品らしい。 |
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