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このページは2005年5月1日〜5月15日の日記です。

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2005年5月15日(日)

たかが「ひまわり」、されど「ひまわり」

外出の際に、マンション1階ロビーのカウンターに「ひまわり」が飾ってあることに気づいた。「えっ!? もう、ひまわり? この頃、アートフラワーでも本物そっくりのものがあるしねぇ……」そんなことを心につぶやきながら思わず近づいてみると、生花だった。「ひまわり」というと、どうしても真夏の熱い陽射しをイメージしてしまう。ここのところ、妙に涼しいせいか、ひまわりがちょっとだけ、まだそぐわないように見えた。

それでもひまわりの黄色が脳裏に印象的に残っていて、帰宅してから、グーグルで「ひまわり」を検索してみた。なんと130万件も該当サイトがあるじゃないの! 「ひまわり」と名のつく会社やお店、団体、診療所、動物病院、幼稚園……あるわ、あるわ! そう言えば私が通っていた幼稚園も「ひまわり幼稚園」だった。こうしたデータを見ると、やはり「ひまわり」は私たち日本人にとびきり馴染みの深い花なのね。ひまわりを漢字で書くと「向日葵」、いつも太陽に向かっているというイメージと、華やかな黄色であることが明るさと前向きな姿勢や希望などを感じさせるのだろう。それに庶民性もあるし……ひまわりが皆に愛され、 好んでこの花の名前が使われる理由がよく解る。

私もひまわりに対しては明るいイメージを持っているが、ギリシャ神話においては哀しいお話なのよね。ストーリーを簡単に書き記しておこう。

ある池にクリュティエとレウコティエという名のニンフの姉妹が住んでおりました。二人には水の精としての掟がありました。それは水の上で遊んで良いのは、東の空が白むまでの夜の間だけと定められていたのです。ところがある日、二人は遊びに夢中になり、時間が経つのを忘れ、空に駆け昇っていく太陽神アポロンの姿を見てしまったのです。ああ、その姿の何と神々しく美しかったこと! 二人は我を忘れて、うっとりと眺め続けました。すると、その視線を感じたのでしょう。アポロンも姉妹を見つけて、ニッコリと微笑みました。

その瞬間、姉のクリュティエは恋に落ちました。でも、妹のレウコティエも少なからずアポロンに好意を抱いています。クリュティエは先手を打って、何とかアポロンに近づこうと計りました。でも、やがて悲しいことに、アポロンが自分ではなく、すでに妹を愛していることを知ってしまったのです。

打ちひしがれたクリュティエは、それでもあきらめきれずに野原に立ち、空を仰いで「どうか私を見てください」とアポロンに訴え続けました。クリュティエは9日9夜、その場に立ち続けたために、体は痩せ細り、足からは根が生えて、とうとう1本のひまわりの花になってしまいました。可哀想なクリュティエはひまわりに姿を変えたまま、今でも朝から日暮れまで、太陽神アポロンの姿を追い続けているのです。 

こんな切ない恋物語が「ひまわり」にはあるのよね。でも、ひまわりの花言葉は「光輝」、「あなたは素晴らしい」、日本人の私としては、ひまわりは明るく元気な花として、いつまでも認識していたいな。

2005年5月14日(土)

生暖かい風が……、キャッ!

4月29日の日記に、近くのコンビニと中華料理屋さんの店舗改装工事が始まったと記した。今日、お散歩の際に前を通ったら、中華料理屋さんだけはすでにリニューアルオープンしていた。ところが、ビックリなのはこの中華料理屋さん、日本料理店に変身なのよ。お店の中から従業員さんたちの中国語で話す声が聞こえる。中国の方なのになぜ日本料理店に店替えしたのだろうか。そのほうが商売になると考えられたに違いない。

ところがちょっと心配なのは、そのお店の内外装。「日本」ときたら「障子」と「ちょうちん」をイメージするのは解らなくないけれど、一面ガラス張りの内側には障子の桟とおぼしきルーバーがあって、軒先にはちょうちんが5つ。そのちょうちんが、まるでお盆のときのちょうちんそっくり! なんともうら淋しいのよ! 大丈夫かしら、このお店。

そういえば、アメリカなどで「ジャパニーズ・レストラン」と看板の出ているお店に入ると、経営者が日本人ではなく、中国や韓国の方の場合が多いとか。以前にこんな話を聞いたことがある。ボストンの日本レストランで「お刺身」を注文したら、なんとまあ、マグロが柵のまま出てきて、フォークとナイフで食べさせられたんですって! きっとアメリカ人が経営している日本レストランなのね。

かくいう私もちょっとおかしな体験はしょっちゅうしている。以前は手をあげてもタクシーが止まってくれないことが多かった。「ひょっとして私が外人の顔をしているので、日本語が出来ないのではないかと心配なのかしら?」 そう気づいてから、上げた腕で顔を隠すようにしてみた。そうしたら、みごとに乗車拒否をされなくなったじゃないの! その後はいつもこの方法でタクシーを止め、乗り込む前から「○○へ行ってください」と声をかけるようにしている。そうすると運転手さん、安心するのね、きっと……ほとんどの場合「お客さん日本語うまいね。日本、長いの?」と話しかけてくる。クォーターなどと説明するのも面倒なので、「日本で生まれて育っていますから」と答えると、「どうりで、うまいと思ったよ」と、運転手さん、ひとしきり話しがはずむ。

ホテルのチェックインカウンターやレストランなどでは、こちらは普通に日本語で話しているのに、ずっと英語で話しかけられたり返事をされることがある。もう、可笑しいくらい! 結局、世界はグローバル化して、どんどん国境はなくなっているけれど、まだまだ「おや?」と思うおかしな国際化が日本でも外国でもあるのね。

2005年5月13日(金)

裸眼じゃ○なのかCなのか分からないわ!

夕方、近くのビルにある眼科で診察を受けた。実は数日前から眼が少しむず痒く「またかな?」と思っていた。私は子供の頃から4月、5月は毎年のようにアレルギー性結膜炎を起こす。今のところ、眼もほとんど充血していないし、目ヤニも出ないので大したことはないが、16日(月)にQVCの生出演があるので、早めに治療したほうがよいと考えた。万が一、目が充血したり、痒みがひどくなっても困るものね。

眼科医院は幸い患者さんが少なく、15分ほど待つと名前を呼ばれた。まず、検査技師さんによる視力や眼圧の検査が行われた。私は強度の近視で裸眼では両眼とも視力は0.045。乱視も入っているから視力検査で「輪のどこが開いていますか?」なんて訊かれたって、輪がいくつも重なって見えるのだもの、いったいどこなんだか! 乱視矯正のレンズを検査眼鏡にさし込んで初めて、「ああ、下です。上です」なんて答えることができる。

検査はすぐに終わって、いよいよ診察。あまりにお若い男の先生で、内心、大丈夫かな?と失礼なことをちらっと思ってしまったが、納得のいくように丁寧に説明してくださった。やはりアレルギー性の結膜炎だそうだ。この頃、すごいのね、まぶたの裏の画像をその場で撮って、モニターに映しながら説明してくださる。「このプツプツしているのがアレルギーを起こしている部分。少し赤くなっている部分に痒みを感じているんですよ」なんて、とても解りやすい。でも、アレルギー性の結膜炎といっても症状は軽いそうだ。ただ、この時期に炎症が起きるというのは、ブタクサの花粉である可能性があるとのこと。ブタクサなんてヘンな名前ね、こんな名前を付けられた植物も困ってるんじゃない?

というわけで、処方箋を薬局へ持参し、リザベン点眼液をいただいて帰宅。夜寝る前と眼が痒いときに眼にさせばよいとのこと。これで安心よ。

2005年5月12日(木)

☆☆ Virtual Love  ☆☆

昨日、「電話友達」について書いたついでに、「メル友」の話にもちょっと触れた。今日は、前から少し気になっていたこの「メル友」について書いておこう。

実は、読者の方からのご相談の中に、メールで知り合った人に心惹かれ、それで迷っていらっしゃるというケースが少なからずある。中には、ご本人と相手の方の生年月日を記して、相性はどうかというご質問もある。

私は、そのようなご質問に対しては、占い以前の問題として、否定的なアドバイスのメールを差し上げている。その理由は、声を聞いたことも会ったこともない人のメールだけをたよりに恋愛感情が生まれること自体に危険性があると思うからだ。メールの中のバーチャルな相手というのは、あくまでも仮想世界の人。はじめはご挨拶程度のメールのやりとりが、次第にラブレターの様相を呈し、終いにはそれにはまりこんでしまう。バーチャルと現実の境目が見えなくなって、ご自分が夢想する「恋」に恋している状態に陥るのね。

でも、このような状態にはまりこむのは、決して特殊なケースではない。人間、誰しも淋しさや孤独感を胸に抱えている。そんな思いが高じてきたときに、その淋しさや心の隙間を埋めてくれる相手を求めるのは当然のこと。自分が何者であるかを明かさずに、見ず知らずの相手とメールで言葉を交わし、悩みを打ち明け合ったりするほうがある意味、気楽であるという気持ちが生じるのも自然なことだ。つまり、これは誰にでも起こり得ることと言える。

ただ、非常に問題なのは、ここ数年、メールが縁で知り合い、不幸な事件に巻き込まれるケースが増加し、しばしばニュースになっているという現実。ニュースにならないような不幸な出来事もまだまだあるに違いない。それらを含めたら、どれだけこのバーチャルな恋に危険性があるか、想像を巡らしただけでだけでゾッとする。とにかく誰でもがはまる可能性がある恋だからこそ、用心しなければダメなのよね。自分に少しでもそうした兆候が見られたら、ぜひ自制心を働かせて、その「恋」から一歩下がって自分自身を客観的に見つめて欲しい。

誤解しないで欲しいのは、異性のメル友が全て良くないというわけではない。趣味や意見を同じくする人たちと気楽で楽しい「メル友」関係を続けていけるなら、大いにエンジョイされたら良いと思う。

2005年5月11日(水)

友人の声を届けてくれる私の電話器

今日はめずらしく、プライベートな友人からの電話が立て続けに4件もあった。合計すれば、3時間くらいは話していたと思う。4人とも特に何か用事があってかけてきたわけではないから、話の内容は他愛もないこと。日常のあれやこれやに終始した。私も今日は仕事にあくせくしないでもすむ日だったので、このどうでもいいようなオシャベリを心から楽しんだ。

でも、ふと考えてみると、この4人の友人、ここ数年間会っていない。それなのに、会っていないことさえも忘れて、ついこの間、会ったかのようなつもりで話している。電話だから当然、友人の表情や身振り手振りは見えないのだが、受話器から聞こえてくる声の調子で全てが分かる。ひょっとして、実際に会ってオシャベリする以上に相手の心が見えるのではないかとさえ思える。もしかすると、友人たちもそう感じているのかも知れない。

最近は電話で話さない「メル友」という友人関係が増えていると聞くが、私はプライベートな友人とはすすんでメールを交わしたいとは思わない。メールというのは、それが仕事上であったり、お付き合いがまだ浅い人とコミュニケーションをとるには確かに便利ではある。言葉では伝えにくいことも、メールなら明確に伝えられる場合もある。ただ、長年お付き合いしている友人とは、メールのやりとりだけでは、どうも味気ないのよね。声を出し合ってオシャベリすることで初めて、会っていない年月も時間も自然に埋められていく感じがするのだ。だから、それが時代遅れになろうが、一生「電話友達」は残しておきたいと思う。

2005年5月10日(火)

対岸からの眺望、幕張エリア

お昼過ぎに千葉県幕張(まくはり)のQVCに向かった。今月の16日と23日に「モイラジュエリー」の新作をご紹介するテレビ番組に生出演するためだ。今日はその最終打ち合わせが行われた。QVCの放送内容については一両日中に「What’s New」でお知らせできると思うが、今日は幕張という特別なエリアについて少しだけ記しておこう。

幕張といえばいろいろな業界の展示会が催される「幕張メッセ」が有名だけれど、中心部のエリアには近代的な高層ビルが立ち並んでいる。かつてのバブル期に次々と建設されたオフィスビルであろう。どのビルもなかなかオシャレだ。でも、高層ビル群は幕張の一角だけで、エリアをはずれると、広大な空き地が目立つ。バブルがはじけて、当初予定していたプランが途中で実行に移せなくなったのだろう。それが不思議な異空間を形成している。

幕張はかつて私にとって、ほとんど縁のない場所だった。でも、QVCに出演するようになった昨年の5月以来、たびたび足を運んでいる。QVCの本社とスタジオももちろん、幕張の中心部の一角に建つ素敵な高層ビルにあるのよね。ただ、いつも仕事が終われば直帰という慌ただしさで、それがいつも残念だった。でも、今日は陽のあるうちに打ち合わせが終わったことと、時間的にゆとりがあったお陰で、車で5分の幕張海岸に寄ってみた。昨日、湘南の海を堪能したばかりなのに、またしても海を眺めに行ってしまったのよ。海、思ったよりずっと碧くてきれいだった。幸せ!

2005年5月9日(月)

ノーネクタイでいざドライブ

GWはすべて仕事で終わってしまったので、今日は思いきってオフの一日と決めた。それでも書かなければいけない原稿もあって、朝からというわけにはいかなかった。結局、午後3時をまわってしまったが、友人と湘南方面へドライブ。環状八号線から第三京浜を走って、一路、三浦三崎の城ヶ島を目指した。「城ヶ島近くの三崎港で美味しいマグロ料理なんていいんじゃない?」ということになったのよね。

ところが、出発時間が時間だけに途中のパーキングエリアに立ち寄ったりしていたら、もう夕方! カーナビの三崎港到着予測時間は夜8時を示している。これでは城ヶ島も海の景色も楽しめそうにないということで、江ノ島に目的地を変更。江ノ島は1年ぶりくらいかしら。特に魅力的なものはないが、東京を離れ、湘南の海風に当たるのは実に心地が良くて、心身が解放されたように感じた。

江ノ島でしらすや佃煮類を買い込んでから、由比ヶ浜のお寿司屋さんへ。出発前から今夜はマグロと決めていたので、マグロを中心にいただいた。その後、逗子海岸に面したファミリーレストランに移動し、フルーツパフェとミルクティーでデザートタイム。このファミレス、以前は別荘だったものを買い取ったとのことで、海が一望できる素晴らしいロケーション! まるで手を伸ばせば海に届きそう。テラスで食事もできるし、ファミレスとは思えないほどいい雰囲気なのよね。今日は夜になってしまったので、海の様子はよくわからないが、それでも対岸の灯りが見えて、なかなかロマンティックだった。 

ここでのんびりオシャベリしていたら、9時近くになってしまった。今夜はもう仕事はしない予定だが、帰ってから「今日の運勢」と「モイラの日記」は書かなければならない。大急ぎで帰路について、書斎に戻ったのが午後11時過ぎ。さあ、書かなければ……というわけで、今この日記を書き上げたという次第だ。

2005年5月8日(日)

今日は、朝から夕方までテレビ番組の収録があった。その帰途、食事に寄ったビルの一階にちょっとオシャレなネクタイ専門店があったので、ついまたネクタイを3本買ってしまった。私は10年以上前からネクタイを仕事の定番ファッションにしているので、ネクタイを目にすると条件反射のように、買ってしまう癖があるのよね。

ネクタイをすることで、あまり男っぽくなるのはイヤなので、きれいな色や柄のものを選んでいる。「これ、きれい!」と心ひかれて手にすると、たいていイタリア製。フランス製や日本製のネクタイは、色がくすんでいて、男性がするにはシックで素敵だけれど、女性にはちょっと……というものが多い。今日、購入したネクタイもイタリア製だった。

帰宅後、ネクタイハンガーに今日の3本を掛けてみて、改めてネクタイの多さに唖然とした。ひょっとして200本近くあるかもしれない。反省! もう、買うのはよそう! 結局、しょっちゅう締めるネクタイはこの中の十数本なんだもの……でも、もはや一種の趣味、コレクションと化している。きっと、また、買ってしまいそう。

2005年5月7日(土)

働き者のキーボード

GWもあと一日! 今日は読者の皆様からいただいた相談メールにご返事を差し上げることで、大半の時間を過ごした。シリアスな問題を抱えていらっしゃる方も多く、そういう方へのご返事はなかなか書けなくて、つい遅くなってしまった。なにしろ毎日が綱渡りのようなスケジュールをこなしているので、お許しください。

当初の考えでは、出来るだけすべてのメールを「読者のページ」でご紹介するつもりであったが、激励のメールが8割、悩みのメールが1割、その他が1割といった具合で、私としては激励のメールをたくさん掲載するのも照れくさいし、悩みとなるとそう簡単に公にもできないという躊躇があり、結局、「読者のページ」への反映が足踏み状態になっているのが現状なのよね。

悩みは実に千差万別で、不倫を含めた恋愛の問題、夫婦や子供の問題、仕事や人間関係の問題、等々。北は北海道から南は九州、沖縄までに止まらず、ロサンジェルスやパリ、ロンドン、中国といった海外在住の方までがメールをくださる。インターネット時代ならではの広がりね。

私のHPへのアクセス統計を見ていると、夜中でも活発なアクセスがあるので、はじめのころは、私と同じように夜中に起きていらっしゃる方がいるのか、あるいは夜のお仕事の方がけっこう見ていてくださるのかと想像していたが、昼と夜が逆さまの時差がある地域の方もいらっしゃることで合点がいった。

と言うわけで、まだご返事ができないでいる読者の方々へは、この場をかりて、お礼とお詫びをさせていただきます。上の写真は私が今日一日メールを打ちつづけたキーボード。ずいぶんと使い込んで少し汚れてます。

2005年5月6日(金)

素朴なちまきと笹だんご

新潟に住む叔母と久しぶりに電話で話した。叔母はもう80歳。叔父が亡くなってからは、長年暮らした家で一人住まいをしている。叔父はもう11年前に他界した。叔父は母の弟であるが、若い頃、父親に反発し、家の病院を継がずに、一人新潟に行って医院を開業していた。叔父夫婦の間には子供がいなかったこともあって、私は幼い頃から二人に自分の子供のように可愛がられた。叔父が元気だった10数年前まで、叔父と叔母は東京に出て来ると、私を連れて食事に行ったり、映画を観たり、時には旅行にも一緒に出かけた。

そんなとき、叔父は人目もはばからず、もう大人になった私の手を引いて街中を歩くのが常で、叔母は後ろからニコニコと笑顔でついてきてくれた。叔父にしてみると、私が何歳になっても子供にしか思えなかったようで、「一人で歩かせると、危なっかしくてしょうがない」とよく言っていた。

叔母にしてもそんなところがあるのかもしれない。叔母の中にある私はまだ若いままなのだろう。電話で話していると、言葉の端々にそれが感じられる。でも、これもちょっといいものね、何か心が安らぐ。

電話を置いてしばらくすると、玄関のチャイムが鳴った。例によって、宅配便だ。「何を頼んでおいたっけ」と考えながら、ドアを開けると、古い知り合いからの届け物だった。段ボールを開いてみると、何と「新潟の笹だんごとちまき」ではないの! 先日、バラの香りが恋しくて、伊勢丹にバラを買いに走った際、ついでに買ってきたパンに、よく見るとバラの模様がほどかされていたことを想い出した(4月30日の日記)。今日は「新潟」というキーワードで結ばれた二つの出来事が重なった。人の念(おも)いのなせる業であろう。

2005年5月5日(木)

臨時に手相を観るためのカラーコピー

昨日は、私の愛用のデジカメをどうやって撮影したのか、というクイズを読者の方にお出ししたが、これと似たクイズをもう一題、出してもいいかしら……。実は手相のことだが、出版社やテレビ局から手相の鑑定を依頼される際、ご本人と直接お会いすることがない場合や、当日でないとお会いできないスケジュールの場合は、カラーコピーでその方の手のひらの複写が送られてくる。ちなみに上の画像はM&Jさんの手のひらをスキャナーで複写したもの。ちょっとポッテリとした幸せそうな手のひら! でも、クイズはM&Jさんの手相とは関係ありません。もちろん手相を観るためにはもっと大きな拡大コピーなのですが……。

さて、今日のクイズは上の画像を見て、どちらが右手でどちらが左手かという問題。昨日のデジカメの場合は鏡に映したカメラを撮影したので、左右が逆、文字が左右逆になっていましたよね。ところが、コピーやスキャナーの場合はそのようなことは起こりません。もしそのようなことが起こったら、読めない文字のコピーが出来あがってしまうものね。

では、コピーの場合はどういうことが起こるのでしょう?

1.画像を見たとおり右にある手が右手、左にある手が左手
2.画像を見たのとは逆に右にあるのが左手、左にあるのが右手

答えは昨日と同じように下の「正解」に矢印カーソルを重ねると分かります。鏡とは違ったこの現象、光学的な知識に乏しい私にはこの原理を上手に説明することはできないけれど、コピーで手相が送られてきたときは、決して間違わないように注意しています。「正解」には、実証できるようにM&Jさんに右手にはRIGHTの「R」を、左手にはLEFTの「L」をマジックインキで書いていただき、上の画像と同様にスキャンしてもらいました。

2005年5月4日(水)

CASIO EXILIM 3.2 MEGA PIXELS

私が日記に写真をつけるようになってから、「モイラさん、カメラの使い方がうまくなりましたね」と出版社の編集の方からお褒めのお言葉をたびたびいただくようになった。嬉しいじゃないの!

もともとカメラなど持ち歩いたことはなかった私だが、このホームページをはじめてから、必要に迫られて小型のデジカメを購入した。そのカメラが上の写真のカメラ。カシオのEXILIMという機種だ。ほとんど毎日、何かしら撮っているし、外出のときはバッグの中に入れて持ち歩いている。ただ、ときどき忘れてしまって、そのときは何か大損したみたいに、ひどくガッカリする。このカメラ、けっこう良く撮れる。不器用な私でも露出は適正、ピントは正確。プロ並みに撮ることだって、そう難しいことではないかもしれないのよね。

ところで、気になるのは街の写真屋さん。DPEというのかしら、以前はフィルムを現像に出してプリントをお願いしていたのに、今ではそんな需要は激減しているはず。しかも、富士フイルムやコニカといったフィルムメーカーさんもフィルムを使わないデジカメを出しているのだから、これはかなり複雑な問題ね。

さて、今日は読者の皆様にクイズを出します。上のカメラの写真はどうやって撮ったのでしょう?

1.もう一台のデジカメで撮った。
2.カタログからスキャナーでコピーした。

この二つの答えは正解じゃありません。答えは写真の画像をよ〜く見るとわかります。下の「正解」にタッチすると答えがわかるけれど、ちょっと考えてみてね。デジカメならではのテクニックも入っていますよ。

2005年5月3日(火)

まだ元気な公園のハトたち

昨日の夕方、私の住むマンションの駐車場で一羽のハトを見かけた。駐車場はマンションの一階にあり、その天井には水道管や下水管などがむき出しのまま複雑にはりめくらされている。ハトはその菅にとまっていた。ちょっと元気がないハトだなと思ったが、私はその場を立ち去った。ところが、今日の昼間、駐車場に入ると、そのハトがまだ同じ場所にとまっている。よく見ると羽は明らかに艶を失い、首のあたりの毛はボサボサに逆立っている。体も普通に見かけるハトより一回りも小柄。なんとも哀れな様子で痛々しい。

もしかすると、このハトは体が弱り、外敵のいない駐車場を最期の砦としてやってきたのかもしれない。そして、ひょっとすると、このハトが弱ったのは「ハトには餌をやってはならない」という最近都が決めた方針の犠牲になっているのかもしれないと、背筋が寒くなった。東京では長い年月、確かにカラスやハトの害が続いていた。生ゴミを食い散らかすカラスの害は目に余るものがあったし、ハトの糞害も困ったものとなっていた。そこで、まずカラスの捕獲作戦が実施され、カラスは目に見えて少なくなった。そして、次がハトに餌をやらない作戦となった。

カラスやハトにとって人間の突然の敵対は何をもたらすのだろうか。カラスやハトの激減によって、人間は小奇麗に暮らせるようになりつつあるが、カラスやハトは人知れずその命を奪われている。なんともやりきれない現実だ。私は、何十年という長い時の流れの中で生まれてきた自然体系を変化させるときは、こんなに急速に行って良いものかどうか、疑問を感じる。それに見合う歳月をかけて少しずつ変える必要があるのではないかという気がする。さもないと、人間の奢りだけが突出し、生きとし生ける物との共生が破綻して、やがて人間へのしっぺ返しがくるのではないかと、どうしても危惧してしまうのだ。この問題は、シカやサルといった野生動物との共生、ペットとして飼う動物との共生といった普遍的なテーマにもつながる。

駐車場のハトは、一台の車が外へ出て行った後、力を振り絞るように翼を広げて、飛び出していった。ハトの痛々しい姿を目にしても、結局は何も出来なかった自分が情けない! 当分このハトの姿は私の脳裏を去りもそうない。

2005年5月2日(月)

モネに恋して

今年の1月5日にオープンした私がプロデュースしている、ネット(楽天)のパワーストーンショップ「Dear Stone」が、今週の5月5日でまる4ヶ月になる。開店当初は無理な開店スケジュールもあって、十分な品数もなく、理想とする体裁が整えられていなかった。でもその後、またたく間に品数も増え、私の想像を超えた立派なお店に成長してきた。これは、山本店長をはじめとしたスタッフの情熱的な努力のたまものと言えるのよね。

しかも、最近ではお店づくりに余裕さえ感じさせる「遊び心」が随所にあらわれていて、私自身も毎日ウインドウショッピングを楽しんでいる。特に、商品につけられたネーミングにはクリエイティビティーとユーモアに溢れた秀作が多い。とにかく毎日のように新しい愉快なネーミングを発見しては、その度に笑って疲れが吹き飛んだり、よくこれだけ的確なネーミングを考え出したものだと、思わず拍手してしまったりする。数々あるネーミングの中で、私がベストテンを挙げるとすれば、次のようなものだ。

モネに恋して
ベビーフェイスの甘い罠
踊るマーメイド
ふわふわドール
揺れる夏ゴコロ
のりのりダーリン
つるるんA子
大人のフェロモンJJさん
ハートの導火線
出動準備OK!!

まだまだ紹介したいネーミングがたくさんある。どれが一番と言えないほど、どれも楽しい。感心するのは、どのネーミングも愉快なだけではなく「なるほどね」と言えるほど、石の持つ表情やパワー、デザインとピッタリ一致していること。知的な遊びを共有できると言うのかな、とにかくネーミングを考えたスタッフの感性は素晴らしい。

まだ「Dear Stoneショップ」をご覧になったことがない方は、商品の購入のことなどは気にせずに、パワーストーンの美しさとスタッフの遊び心を楽しんでいただければと思う。

2005年5月1日(日)

"The Way We Were" 「追憶」 DVDケースより

4月24日の日記でバーブラ・ストライサンドのコンサートを収録したDVDを紹介したが、その後、ネットで彼女が主演している「追憶」というアメリカ映画のDVDが見つかったので、これもさっそく注文した。

この映画はもうだいぶ昔に観たことがあるのだが、あらためて今日鑑賞した。物語はバーブラ扮する主人公ケイティーが、大学時代の友人ハベル(ロバート・レッドフォード)と偶然に出会い、1973年の大学のキャンパスでの出来事を回想するシーンから始まる。ケイティーは政治運動に没頭する学生運動家だったが、育ちが良くルックスもいい青年ハベルにひそかに惹かれていた。再会した二人はやがて愛し合い、結婚し、輝かしい人生を満喫。ケイティーは彼の子供も身ごもったが、彼女の正義感と反政府的な主義主張は変わらず、これが原因で出産直後にハベルと離婚する。ハリウッド映画にしてはハッピーエンドではなく、とてももの悲しい。

実は、この物語には従来の日本人のメンタリティーでは理解しがたいテーマが流れている。それは、愛しながらも主義主張の違いで別れていくという辛いテーマだ。実際、アメリカで生活をした経験のある友人の話では、アメリカでは愛し合いながらも別れるというケースが非常に多いとのこと。これはいわゆる日本的なメンタリティーからすると、ひとつの驚き。愛しているなら主義や主張が違おうが何であろうが、全て愛が包み込んでくれると考え、また妥協もするのが日本人的思考ではないだろうか。それに対して、昔から女性の自立が当然とされるアメリカでは、愛しながらも、譲れないものはあくまで譲れないものとして貫くという生き方が厳然としてあるのだろう。

映画の最後は、別れた二人が偶然に路上で再会し、固く抱き合い言葉少なげに、でも愛がにじみ出る眼差しで見つめ合い、そして別れていくシーン。なかなか泣かせる場面だが、アメリカ人の心には、私たち日本人とはちょっと違った次元で訴えるものがあるに違いない。

でも、映画を見終わって改めて思った。今の日本、特に若い人たちは、こうしたアメリカ的な生き方……つまり、主義主張が違えば、例えどんなに愛し合っていようが一緒には暮らせない、別れるといった考え方をする人たちがだいぶ増えているのではないだろうか。だとすると、この古い映画「追憶」は、今の若い人たちにこそ共感を呼ぶ一作かもしれない。

なお、この映画の主題歌「追憶」は耳にすれば誰でも「あ〜、この曲!」といえるほど有名で、「第46回アカデミー賞の歌曲賞と作曲賞」を受賞している。

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