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このページは「結城モイラのホームページ」を制作・運営する
「スタジオM&J」から見た結城モイラさんを紹介するサイトです。
モイラさん自身からは語られないであろう隠れた面白い逸話も多く、
モイラさんファンにとっては大変興味あるページになると思います。

また、ホームページ制作のウラ話や制作サイドからのお知らせも適宜
掲載しますので、ホームページの日々の進化を
より身近に感じていただけると思います。
ご期待ください。

Inside Report #021 ------------------------------------------------------

25年前のモイラさん、見つけた!

先日モイラさんからギリシャ神話関係の分厚い書籍を数冊お借りしたら、その中の一冊に四つ折りになった紙がはさんであった。いくらか紙も黄ばんで、だいぶ以前のものと察しがつくが、もしやヒミツの恋文でもとゲスな勘ぐりを頭に描きながら、そっと開いてみた。すると、その紙は「夕刊フジ」昭和57年2月15日号の1ページ記事のコピーだった。なんとモイラさんが愛犬バンビを抱いた写真が大きく載っているではないか。昭和57年と言えば、エ〜ト、エ〜ト、いまから25年前の記事。モイラさんも今のモイラさんとは違い、髪もロング。顔も初々しさが感じられる(今がどうのとは言っていない)。記事に目を通してみると、もうこのころにはモイラさんは「週刊少女コミック」、「小学六年生」、「レモン」、「蛍雪時代」、「日刊スポーツ」など10数誌(紙)に連載を持つ超売れっ子占いライターとして活躍していた様子。当時の中高生のあこがれのお姉さんといった存在とも紹介されている。なるほど、現在もその頃のファンの方々が今もなおモイラさんのファンであり、その方々のお子さんがまた小学館やベネッセの学年誌を通してファンとなっているという、モイラさんならではの「親子二代ファン」という珍しい図式が出来上がっている。でも、記事は、「あなたは、狐狸庵(こりあん)さん、遠藤周作じいさんの恋人ですか?」という質問からはじまっている。このInside Reportでもたびたび取り上げてきた遠藤周作氏との関係は、新聞記者の間でも当時からつとに有名であったことがうかがえる。

ま、何はともあれ、大発見の25年前の「夕刊フジ」をご覧あれ。 詳細は ⇒ こちら

Inside Report #020 ------------------------------------------------------

10日が「One Heart」の日というヒミツ

従来のモイラジュエリーとはちょっとテイストの異なったジュエリーを販売するインターネット上のショップ「One Heart」だが、毎月10日がOne Heartの日だという。どういう日かと言えば、新作を発表する日であったり、何か楽しいキャンペーンなどの発表の日ということだ。ところが、洩れ聞こえるところでは、こんなエピソードがあるようだ。

「10」という数字をよくご覧いただきたい。「」と書き換えることも可能。「1=One」であるから、「ワンハート」は「10」そのものなのだ。だから「One Heart」のお店は毎月10日の日を記念日として、この日を大切にしていこうとしている。

ところが話はまだ終わらない。というのは、そもそもこの「One Heart」なる新しいブランドが生まれた経緯は、モイラさんが結婚し、その際に特注の結婚指輪を作った、そのコンセプトが「ワン・ハート」であったことを思い出していただきたい。しかも、2006年10月10日がモイラさんの結婚記念日なのである。オチは「ごちそうさん」ということだが、なかなか面白いストーリーを隠しもった「One Heart」の記念日なのだ。

ちなみに、「ワン・ハート」というブランド名も、毎月10日を「One Heart」の日とすることもモイラさん自身の発案だという。恐れ入りました!

Inside Report #019 ------------------------------------------------------

古いページが表示される場合の解決方法

例えば月が変わって新しい月の運勢を見たいと思い、「今月の運勢」をクリックすると前月の運勢が表示される場合があります。本ホームページの「更新履歴」のページを見て「今月の運勢」がすでに更新されているというレポートがあれば、それは次の方法で簡単に解決できるはずです。

「今月の運勢」のページを開いた状態で、インターネットエクスプローラのメニューの「表示」の中にある「最新の情報に更新」をクリックするか、「更新アイコン」をクリックしてください。これでサーバーにある最新のデータがあなたのPCにダウンロードされ、画面表示も最新のデータに更新されるはずです。他のページの場合も同様のことを行えば問題は解決するはずです。

これはローカルのPC(あなたのコンピュータ)にはあなたがインターネットのウエブサイトを閲覧した記録が自動的にメモリーされており、同じページを再度閲覧しようとした場合、更新されたサーバーのデータではなく、ローカルの古いデータを画面表示してしまうというケースが時々あるからです。ですから、このホームページに限らず、「ちょっと変だな、データが古い」と思ったときは、前記のような対処をしてみてください。

Inside Report #018 ------------------------------------------------------

変質した「モイラの日記」

昨年末から途絶えていた「モイラの日記」が4月1日から再開された。モイラさんの最愛の母上が他界されたショックからやっと立ち直り、気持ちを新たにされたのだろう。その心模様が感じられるのは、母上の納骨式のことを記した4月23日の日記に見られる。モイラさんは「お父様、お母様、あの世で一緒に幸せに暮らしてください。私もこれから新たな出発をします」と心に言い聞かせている。

さて、ここで述べておきたいのは、4月1日からスタートした日記と、それ以前の日記では、大きな質的変化があるということだ。以前、「モイラの日記」は「日記風エッセイ」であると評した。日を追って書いているには違いないが、必ずしもその日の行動や出来事とリンクしていないテーマが多く、それはエッセイそのものであった。

ところが、4月1日からの日記は、その日その日の行動や出来事に端を発した話となっており、そこからモイラさんならではの豊かな感性をまじえたエッセイが展開している。つまり、「日記風エッセイ」から「エッセイ風日記」への変質がうかがえる。

この変化は何を意味しているのだろうか? 以前のモイラさんは、毎日毎日、何かしらのテーマを考え出し、そのテーマにそったエッセイをつくることに終始していた。ところが、現在のモイラさんは、日常生活の中から拾い集めた身近な素材をテーマとした日記をエッセイ仕立てに書き上げている。ここには以前のような肩肘をはった姿勢はない。きわめて自然体で、日常の何もかにもをさらけ出さんばかりに躊躇もない。

そういう意味では、従来に増して人間・結城モイラの実像がより鮮明に映し出されつつある。したがって、第二世代を迎えた「モイラの日記」は結城モイラを知るうえできわめて貴重な資料となる。(2005年5月8日)

Inside Report #017 ------------------------------------------------------

モイラさんと詩歌

ある日、東京から70キロほど離れた地方のホテルのイベントに参加するため、こちらモイラさんを車でお連れすることになった。その日は穏やかな日本晴れであった。朝日はまぶしいほどに降り注ぎ、高速道路から見渡す山々は輝くばかりであった。こうなると、仕事というより車内は行楽の気分。と、モイラさん、「お猿のかご屋はホイサッサ……」となにやら懐かしい童謡を歌いはじめた。こうなると止まらない。モイラさん、次々と童謡を披露。しかし、どうしてこんなにもたくさんの童謡を諳んじているのだろう。「モイラさん、どうしてそんなに童謡、知ってるんですか?」「子供のころ童謡のレコードをたくさん聴いていたせいね」「へー」こちらそれ以上の言葉はない。「童謡クイズみたいのがあれば、私、自信があるんです」「へー」「ほとんど三番までの歌詞、憶えてますよ」「へー」それから、約1時間、モイラさん次々と三番までの歌詞を正確に歌って聴かせてくれた。

そのとき以来、「モイラさんは童謡が好きなんだ」という記憶がこちらの脳裏にインプットされた。そして最近、仕事の打ち合わせをしていると、話がいつの間にか詩歌に及んだ。そこでまた、こちら舌をまかれる羽目となった。モイラさん、藤村、光太郎、白秋といった詩人たちの詩歌をことごとく諳んじているのだ。「ここのところがいいでしょ?」「はい」「藤村はこういう思いだったのではないかしら」「はい」「白秋にはこんな詩もあるのよ」「はい」こちら、ただただ受け身。

なるほど、モイラさんの文章がいわゆる「モイラ調」と言われ、心地よいリズムと旋律が感じられるのは、モイラさんが子供のころから親しんだ童謡や、藤村、白秋をはじめとした詩歌に内包されたリズムと旋律が生きているに他ならない。近年、「声にして読みたい日本文学」が提唱され、そうした啓蒙活動が行われるようになったが、文章というものは一朝一夕にそなわるものではなく、言葉の吸収力が旺盛な子供のころがもっとも大切であることを、モイラさんのふとしたエピソードから痛感させられた。(2005年4月11日)

Inside Report #016 ------------------------------------------------------

Horoscope」のバナーがまだ2004ですよ

読者の方から、「2005年の運勢」、「今月の運勢」、「今日の運勢」のページの最上部にあるバナーがまだ「2004」のままですよ、というお知らせをいただいた。こちら調べてみても「2005年」のバナーにちゃんと更新しているので、腑に落ちずモイラさんのPCではどうですかと訊いてみた。すると「大変よ、読者の方の言うとおり、まだ2004年になっています!」とのご返事。はて、どうしたものか……。いろいろ推理してみたが「アラ不思議」という以外解決の光明が見えてこない。以前、読者の方から画像が消えたり出たりすのは心霊現象ですかというご質問を受けたことが、ふと頭によみがえった。

更新しているのに更新されてない。「モイラさん、モイラさんのホームページでもついに心霊現象が起こりましたよ」と言ってみようかと一瞬悪戯ごころ。でも、そう言ったところで何の解決にもならない。困ったなぁ〜が頂点に達したその瞬間、天からの声。「エクスプローラの〈更新〉ボタンをクリックしたまえ」--- なるほど、さっそく電話。「さっきの問題ですが、エクスプローラのメニューバーのところにある〈更新〉ボタンをクリックしてみてください」「あら、直ったわ!」「でしょ?」--- こちら自信がなかった素振りは少しも見せずに、「こういう場合は更新ボタンで解決ですよ」

そう、以上で分かったことは、第一に、困り切ると天が助けてくれるということ。第二は当然更新されていなくてはおかしいと思えるページに出会った場合は〈更新〉ボタンを押してみることだ。なぜこういうことが起こるのかと言えば、PCは 以前開いたページを履歴として記憶しており、何かの拍子にローカルの履歴にアクセスして更新前のページを表示することがあるということだ。考えてみれば、「更新」ボタンがついているのもその問題を解決するためだっけ? (2005年1月5日)

Inside Report #015 ------------------------------------------------------

その1万円札、早くしまえ!

「#014」で遠藤周作氏とのエピソードを紹介したが、そのついでといっては何だが、もう一つ紹介しておきたい氏とモイラさんとの間に起こった事件がある。氏はご自分が命名した「結城モイラ」を一日もはやくひとかどの占い研究家に育てあげたいと願っていたのだろう。その日も、「今日はな、集まりがあるから、ついてこい」との命令。モイラさん、期待と不安を両手に、いそいそと先生のお供。行ってみると、そこには20人ほどの中年男女。出版社の編集者、ライター、サラリーマン、OLといった顔ぶれだ。宴の中盤で、氏はモイラさんを紹介。その場で、占いを披露せよとの命令。さあ、大変、まだ駆け出しのころのモイラさん、なんの準備もしていない、どうしたらよいか。それでも仕方ない、精一杯、何人かの人の手相を観て占った。

ところが、会が終わってから事件が起きた。「みんな、モイラの占いに感動していなかった!」---- 氏はそれだけ言うと、長い脚でどんどん先に歩いていってしまう。しまいには車が激しく行き交う赤信号の交差点も無視して渡ってしまう。モイラさん仰天しながらも先生を見失わないように後を追った。たどり着いたのは六本木の寿司屋さん。先生の怒りは収まるどころか、さらにエスカレート。「お前は、それじゃダメだ! もっと人を感動させるだけのものをみせなきゃ! お嬢様芸じゃ通用しないんだ!」--- 店に居合わせた他の客も固まるほどの剣幕だったという。モイラさん、下を向いてじっと耐えた。

それから1週間後、氏のところへ出入りしている編集者から、意外な話を聞く。「オレがあれだけ怒鳴っても泣かなかったやつははじめてだ。モイラは大丈夫だ。やっていけるぞ」と先生が言っていたというのだ。あの日以来、意気消沈していたモイラさん、その言葉に半信半疑ながらも、とりあえず先生の仕事部屋に。しかし、案の定、先生はほとんど口をきいてくれない。結局、なす術もなく、席を立とうとした瞬間、「おい、ちょっと待て、お小遣いだ」--- 先生が1万円札をにゅっと差し出した。「とっとけ、ほら!」 --- モイラさん、受け取ったはいいが、いただいていいものやら悪いものやら、戸惑った。「その1万円札、早くしまえ! オレが後悔するといけないから…」 モイラさんの顔に笑顔が戻った。それきり先生は後ろを向いたまま、また無言になった。「失礼します!」--- モイラさん、外へ出て、空を仰ぎながら、「よし、先生の期待に応えるよう頑張ろう」--- そう心に誓ったあのころのことを、モイラさんはときどき思い出して、今も励みにしているそうだ。(2004年9月26日)

Inside Report #014 ------------------------------------------------------

うらめしや、モヤシ炒め

「結城モイラ」の名付け親が作家の故遠藤周作氏であることはすでによく知られているが、氏から最初に命名された名前は、実は「モイラ」のみであったそうだ。しかし、モイラさん、「モイラ」と聞いたとたん、あの蛾のお化けのような怪獣「モスラ」の映像が頭に浮かんできて、内心不安になった。ところが、そこへ助け船。祥伝社ノンブックから「西洋星座手相術」を出版することとなり、当時の編集長が「モイラだけじゃ、なんですね……名字があったほうが……」と。そこでモイラさん、いそいそと遠藤周作先生に事情を説明。「よし、わかった」……3日後に先生からの連絡。「結ぶに城だ、結城モイラ、いい名前だろ」……モイラさん、これで納得。晴れて最初の単行本から「結城モイラ」の名前でスタートできた。

このようにモイラさんがプロとして自立しはじめた初期のころは、遠藤周作先生が陰となり日向となり応援してくださった。したがって、遠藤周作先生には足を向けては寝れないほど恩を感じてはいる。しかし、数ある遠藤先生との思い出の中で、実は、いまでも悔しくてしょうがないことがある。その話、こちら、この数年間で3回も聞かされているので、その悔しさはモイラさんの頭のどこかに大きなカサブタのごとくしっかりとこびりつき、忘れがたき悪夢の記憶となっているのだろう。

その話とはこうだ。ある日、ある時、「きょうはご馳走してやるからな、何でも好きなものたのめ」と言われて、モイラさんニコニコ顔で先生のお供と相成った。当時、氏が仕事部屋にしていた代々木深町のマンションから歩いて15分ほどの原宿にある高級中華料理店が先生のお決まりの店だった。

席につくとまた、「何でも好きなものたのめ」とおっしゃる。お言葉に甘えて、モイラさん分厚いメニューと睨めっこ。すると、先生、やおらボーイさんを呼んで、「モヤシ炒め」という。それ以外に確か2品ほど注文したはずだが、今のモイラさんの記憶にはない。「モヤシ炒め」があまりに強烈に脳みそにインプットされたためだろうか。なにせ、駆け出しのころのモイラさんだから、「モヤシ炒め」であろうが、「ダイコン炒め」であろうが黙ってありがたくいただく以外なす術がなかった。しかし、そのパターンは一度ならず、2回、3回と同じように、「何でも好きなものたのめ」と言われながらお供をすると、結局、「モヤシ炒め」が注文されてしまったのだ。

当時、長者番付にも載る大作家であった遠藤周作氏が何もケチろうはずがない。かと言って、目に掛けているモイラさんに意地悪をするはずもない。ズバリそれは、そういう悪戯が大好きだった氏のかっこうの餌食になっていたのではないか。考えてみれば、ラーメン屋でもない名のある中華料理店、「モヤシ炒め」がメニューにあったのだろうか。ことさら「何でも好きなものたのめ」と言いながら、モイラさんがメニューに目をやると、すかさず、「モヤシ炒め」を注文するシナリオは、先生が店の主人と申し合わせた悪戯であった可能性が高い。

モイラさん曰く、「今だったら、メニューを見る前に、フカヒレの姿煮! アワビのクリーム煮! ペキンダック!と先手を打つのにね」…… 遠藤周作氏の小説の中には、「モイラ」という名の女性が何カ所かで登場するという。どうも小説の中の「モイラ」は、なかなかの勝ち気で御しにくい女性というイメージに描かれていると聞く。先生が命名した「モイラ」さんと、小説の中の「モイラ」とは関係があるやなしや、深読みは厳禁ではあるが、いつか時間があるときに読んでみたいものだ。(2004年9月24日)

Inside Report #013 ------------------------------------------------------

モイラさんの優しさはどこからくるのか?

嫌がるモイラさんをやっと説得して生まれた「モイラの写真アルバム」。現在、4歳から8歳までの写真が掲載されている。あどけない天使のようはモイラさんの幼少期の様子が分かる。しかし、皮肉なことに、この「可愛さ」がその後のモイラさんを苦しめることとなった。

まだ世間のことも分からぬ小学生の時期に、級友から「外人!」と罵られたり、「敵国人!」などと謂われなきレッテルを貼られたりした。時には、あろうことか担任の女性教師までもがそれに荷担して、今でいう「いじめ」にさらされた。……「じっと我慢する」…… 子供のモイラさんが出来ることはこれだけだった。そして心に残ったものは「失意」、「人間不信」といった悲しみだった。

子供のころに受けたそうした心の傷は簡単には癒やされるものではない。いつも「用心する」という孤独感は10代においてもつきまとった。そして大学卒業後、社会に出、プロとしての占いの仕事につくや、今度は頭角をあらわしはじめたモイラさんを面白くないと思う人たちが、嫌がらせの電話をよこしたり、出版社への圧力をかけ始めた。

しかし、それでもモイラさんはくじけなかった。いわゆる「占い業界」というものとも一定の距離をおいて、自分の信じる道をひたすら歩み続けてきた。その歩みは、挫けそうになる自分自身との戦いでもあった。いつも微笑みをたやさないモイラさんの幸せそうな顔の奥には、実はそうした「悲しみ」と「苦しみ」が閉じこめられている。が、しかし、モイラさんはいつしかそれらを「愛」に変えた。「悲しみ」と「苦しみ」を乗り越えて、今では、自分を苦しめた人たちにさえに、限りない「愛」を与えようとしている。

このHPの「読者のページ」でもモイラさんは14歳の少女に次のようにアドバイスを送っている。……『私もあなたと同じ年齢のときにクラスメートから意地悪されて、ずいぶん辛い思いをしました。でも、私はそうした悩みを乗り越えて社会人になったとき、ティーンの頃の辛く苦しい経験が結局は自分のためになったのだということに気づいたのです。つまり、辛い経験によって知らず知らずのうちに、精神力が鍛えられていたのね。社会に出てから、もっと厳しい現実に遭遇することもあったのですが、その際にこの中高生の頃の経験が見事に役立って、私はひどく落ち込んだりすることもなく、困難を乗り越えることが出来たのです。そのとき初めて、意地悪をしたお友だちも含めて、全てのお友だちは私にとって宝物だと心から思えるようになりました。そう、人間にとって「何の意味も成さない」といった経験はないのです。だから、辛さをプラスのエネルギーに変えていきましょう。』

まさに、モイラさんの優しさの原点は「悲しみ」と「苦しみ」を乗り越えたところで生まれた「人間愛」そのものなのだ。したがって、モイラさんのメッセージやコメントをそうした目差しでいま一度読み返すと、その意味の深さがより一層理解できるのではないだろうか。(2004年9月24日記)

Inside Report #012 ------------------------------------------------------

またやってしまった安請け合い

モイラさんの5月10日の日記によれば、「PC講座」の開設をこちらが二つ返事で引き受けたと書かれている。たしかに、こちら、モイラさんからの提案に、「それはいいアイデアです。さすがモイラさん」などと調子のいいことを口走ってしまった。「じゃあ、やってくださるのね」とモイラさん。「も、もちろんですよ」とこちら。これが「二つ返事」というモイラさんの表現になったのだ。

さ〜て大変! もう逃げられない! ホームページの更新だけでも「ヒーヒーハーハー」言いながらやっているこちらとしては、考えただけでもお先真っ暗、目玉が蚊取り線香状態なのだ。でも、「PC講座」なるものを開設すれば、唯一、こちらがモイラさんに優位に立てる。なんつったてモイラさんが生徒だもの、と心のどこかが喜んでいる自分に気づく。ま、いいか、やってみよう。コロッと考えを変えて、こう自分に言い聞かせるのもお調子者の特技。要は、ケセラセラよ。

で、改めて思った。モイラさんという人は、何事もポジティブだ。良いと思ったら、即実行。しかもへこたれない。すごい頑張り屋さんなのだ。超多忙な毎日の中で、ホームページの原稿も欠かしたことがない。それを思えば、「PC講座」一本でくだくだ言っている自分が情けない。最近、モイラさんに聞いてみた。「そんなに大変な思いをして、よく頑張れますね」とこちら。しばしの沈黙があって、モイラさんが独り言のようにぽつんと言った。「これは私の修行なんです」----この言葉が、人知れず切に生きるモイラさんの実像として今も耳に残って離れない。 (2004年5月15日記)

Inside Report #011 ------------------------------------------------------

読者からの質問二題

モイラさんがPCトラブルのついでにフロッピーディスクのデータを消してしまったことを日記に書いたためか、読者の方からPCに関するいくつかの質問をいただいた。このホームページで扱う範囲を超えた話となるが、一応お答えしておこう。

一つ目の質問は、『PCトラブルでデータの消失を防ぐにはどうしたら良いか』という問題。もう一つは、『データを完全に消し去るにはどうしたら良いか』という問題。相反するご質問でなかなか面白い。

では一つ目から行こう。PCトラブルでデータを消失する羽目に陥るのは、ウイルスに感染したりPCが操作不能の状態となり、ハードディスクをフォーマットしなければならなくなった時である。ほとんどの場合、PC購入時に同梱されてくる「リカバリーディスク」で工場出荷時の状態に戻すことによってPCは回復するが、肝心のデータは消失してしまうケースが多い。フォーマットの場合は前回紹介したソフト「復元」も有効とはならない。したがって、この場合は「備えあれば憂いなし」で問題が起こる前に次の二つを準備しておくことが肝心。

その一つは、ウイルス対策をしておくこと。「ウイルスバスター」とか「ノートン・インターネット・セキュリティー」のようなウイルス対策ソフトを自分のPCにインストールしておくことも良いが、かなりPCに負荷がかかり起動その他の動作が鈍くなる欠点があるので、あなたが契約しているプロバイダーがウイルス対策サービス(有料)を実施していれば、そのサービスを利用した方が良いだろう。

その二は、PCに外付けのハードディスクを増設しておくことである。内蔵ハードディスク(ドライブC)のマイ・ドキュメントに保存したデータをできるだけ頻繁に外付けハードディスクにコピーしておく。こうすれば本体のハードディスクがウイルスに感染しても万一フォーマットすることになったとしてもデータは無傷で残る。外付けハードディスクの増設などというと難しそうに聞こえるが、まったく簡単なことなのでぜひ実行されたい。

さて、二番目のデータを完全に消すという必要性は、たとえば、自分のPCを他人に譲る場合とかPCを毎日仕事で使っていた会社を辞める場合などに起こるだろう。モイラさんが日記でも指摘したように、データを「消去した」くらいでは簡単にデータが復元できるという事実を知ってしまえば、個人的なデータは完全に消し去ってからでないと他人に自分のPCを渡せない。これはフロッピーディスクでも同じことが言える。事実、リサイクルパソコンなどは個人情報の流出という問題も起こっている。PCでの「消去」という操作は、いわばデータにカーテンをかけて見えなくしているに過ぎない。カーテンを開くソフトを使えば、消去したはずのデータが丸見えとなるのだ。

そこでご紹介しておきたいのが「完全削除」というソフト。このソフトは、データを意味のないデータで上書きしてしまい本来のデータを修復不可能にするというもの。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA001911/index.htmlのサイトで入手できる。井上博計という人が公開しており、無料で使用できる。ただし、使用に当たっては「自己責任」が原則である。

以上でご質問にお答えできただろうか。(2004年5月10日記)

Inside Report #010 ------------------------------------------------------

消えてしまったデータの復元

「キャッ!」とも「ウワッ!」ともつかないかなり派手な叫び声が受話器を通してこちらの鼓膜を震撼させた。5月6日の「モイラの日記」にあるように、モイラさんがフロッピーディスクのデータを消してしまって、それが復元できた瞬間のモイラさんの雄叫びである。こういうときのモイラさんの感情表現は実に率直で素晴らしい。とても大人とは思えない、こりゃ失礼、ともかくピュアーそのものなのだ。ま、取り返しのつかないデータが復活したのだから、それは感激の極みに違いない。

そこでモイラさん、「こんなすごいことができるなら、読者のみなさんにも教えてあげたい」としきりにおっしゃる。「いいことは教えてあげたい」というモイラさんの堅い信念がそのような衝動的善意をかりたてるに違いない。で、どうするの? 結局、こちらが書くことになった。

そうなんです、「復元」というソフトがあれば、うっかり消去してしまったPCのデータも復元できます。たとえば、もういらないと思ってゴミ箱に捨てたデータを、さらに「ゴミ箱を空にする」を実行した場合、一般的にはそのデータとは永遠におさらば。でも、どうしても今一度再会したいということもないではない。今回のモイラさんのようにフロッピーディスクのデータを消去してしまった場合も然り。

では、ご案内といきましょう。まず、インターネットに接続。エクスプローラのURL欄に http://www.vector.co.jp/soft/win95/util/se192983.html を入力し、エンターキーを押すか、このURLをクリックすれば、Vector Soft Libraryというサイトが開く。もうここが「復元」のダウンロードができる画面である。あとは指示に従ってあなたのPCにダウンロードすればよい。加藤高明という人が開発し、それを無料で使えるよう公開しているのだから有り難いっすね。あとは冷たいようだが、このソフトの利用は「自己責任」を原則にお使いあれ。(2004年5月7日記)

Inside Report #009 ------------------------------------------------------

これって心霊現象?

「ある霊能者の方のホームページに書いてあったのですが、その方のホームページでときどき画像が消えたりまた現れたりする現象があり、それは心霊現象という説明がありました。実はモイラさんのホームページでも同じようなことを経験したのですが、これって本当に心霊現象なのでしょうか?」----- 読者の方からの質問メール。

そのサイトでそのようなことが書いてあったのなら、それはそうなのかも知れませんが、少なくとも「結城モイラのホームページ」ではそのような心霊現象などまったく起こりません。

質問者の方がこのホームページでも同じような経験をされたというのは、たまたまホームページの更新時にアクセスされたのだと思います。なぜそのようなことが起こるのかと言えば、ホームページ更新の作業では最初にテキストデータをサーバーに送り込み、その次に画像データを送り込みます。テキストデータと画像データの送り込み時間のタイムラグは数分あります。したがって、この数分の間にたまたまアクセスした方は、画像が消えた画面を見ることとなります。でも数分後にもう一度そのページを開けば、ちゃんと画像が出ているはずです。

ですから、心霊現象などとはまったく関係のないホームページの更新作業の間隙に起こる偶然の出会いなのです。もしまたそのような現象に遭遇された時には、本ホームページの「更新履歴」の「更新時間」を確認してください。きっとその現象は更新時間と一致しているはずですよ。(2004年5月1日記)

PS:何回見ても×印がついた画像のないページというのもありますが、それは単純にホームページの制作者が画像をサーバーにアップロードし忘れているだけの話です。

Inside Report #008 ------------------------------------------------------

モイラさんと通販

書斎にこもって原稿に追われるモイラさんなので、通販はモイラさんのかっこうの気晴らしのようだ。その証拠に、モイラさんと話していると、「どこどこのスモークサーモンは最高よ」、「どこどこのプディンを食べると、今までのプディンは何だったかのかと思うの」、「なんとまあ、こんな面白いもの見つけたの」などと通販行脚の話は尽きない。

この日も、モイラさん、目を輝かせて「すご〜く面白いもの買っちゃいました」とはじまった。注文したばかりなので、物はまだ届いていないが、モイラさんの説明によると、ノズルのような突起部を耳の穴に差し込んでおけば、黙っていて耳の中を掃除してくれる電動器具とのこと。要は小型の掃除機のようなもので、耳クソ、いや失礼、耳アカ、いやこれまた失礼、ま、「耳のお粉」とでも言っておこうか、これを電動で吸い取ってくれる機械なのだ。

そして、一ヶ月後、「こないだ言ってらした耳の掃除機、どうでした?」----こちらふと思い出して、訊いてみた。「それがね〜、少しも吸ってくれないんですよ」「え? ダメなんですか?」「ダメってわけじゃないんですが、……ちょっとね」「ちょっとねって?」「吸い方がもっと強力ならいいのかも」 こちら、ちらっと悪戯ごころが頭をもたげて、「モイラさん、そんな強力だったら、鼓膜はもとより、脳みそだって吸い取られちゃいますよ」「ウワー! 止めて、止めて、止めてください! もう気持悪くなってきたわ」

こちら、もしかしてその機械、もらえるのではないかと助平ごころ。「ぼくだったら、なにか別のことに使えるかもしれませんね」「でも、使ってますから、大丈夫ですよ」「使ってますって?」モイラさん、ちょっと恥ずかしそうな目つきで、「あのね、耳のお掃除はいままでどおり、耳掻きでするんです。それをティッシュペーパーに乗せて、それを吸い取ってるのよ」「え?!」「じゃ、意味ないじゃないですか?」「いいんですよ、けっこう楽しいんですもの」---もう何をか言わんやである。今夜もきっと、その機械は見捨てられることなく、モイラさんの手近に鎮座ましまているに違いない。(2004年1月24日記)

Inside Report #007 ------------------------------------------------------

モイラさんと500円玉

「その500円玉くださらない?」 --- 打合せでお茶を飲んだときの支払のおつりを見たモイラさんの依頼だった。「かまいませんけど……」 --- こちらそう答えながらも、「お茶代払ったうえに、なんで500円あげなきゃいけないの……」こころの中で不満が湧き上がる。「じゃ、これで」モイラさんが1000円札を差し出した。こちらほっとして小銭入れからおつりを探す。「いえ、いいんです。おつりはいりませんよ」「あっ、そうか、スマートに自分のお茶代を払ってくれたというわけか」こちらそれで納得。

ところがまたある日、同様に「その500円玉くださいません?」とモイラさん。こんどはお茶代とは関係がなく、こちらの買い物のおつりを見たモイラさんの反応だった。100円玉5枚との交換かと思ったら、またしても「おつりはいりません」といって1000円札が差し出された。

と、こんなやりとりがその後も何回も続いた。500円玉が1000円札に化ける! こちらすっかり味をしめて、モイラさんの前では500円玉を何気なくちらつかせる習慣。しかし、なぜモイラさん、500円玉を欲しがるのか。もしや、500円玉のコレクター? だが、ありふれた500円玉……、こちらの疑問は膨らんだ。「モイラさん、どうして500円玉欲しいんですか?」モイラさんの目がヒミツっぽく光った。「あのね、ドラえもんちゃんが待ってるんですよ」 こちら、さっぱり分からない。「ドラえもんちゃんって?」「……ドラえもんの貯金箱があるんです」「ああ、貯金か……」こちら合点がいった。

いや、合点がいかない。貯金ならわざわざ500円玉を1000円札と交換するはずがない。モイラさんの経済観念が疑われる。そこで訊いてみた。「500円玉貯めてどうするんですか?」「それが私にも分からないの。ともかくドラえもんちゃんが待ってるのね」 --結局、その後も訊いてみたところ、モイラさんは、5、6年前に小学館のパーティーでもらったドラえもんの貯金箱をえらく気に入って、それには500円玉を入れてあげると決めたらしい。以来、モイラさんは、いわば「パブロフの○○」のように500円玉を目にすると、条件反射的に「欲しい!」という抑えがたい欲望に支配されているというのが結論?かな……。

と、こんな結末なのだが、モイラさんにはこのような面白い話がたくさんある。おいおいご紹介したい。ちなみに、前記のドラえもんの貯金箱は、耳をかじりとられる以前の黄色い姿で、パーティーの際の記念品(非売品)であり、マニアの間ではプレミアムもつく大変貴重な一品らしい。 (2004年1月12日記)

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【追記】 モイラさんが500円玉のコレクターではないことは判ったが、話のついでに、こちら500円玉に興味を持ってしまった。調べてみたら、500円玉は通常の硬貨2種類(旧・新)に19種類の記念硬貨合わせて21種類が現在までに発行されている。ご興味のある方はお目通しあれ。19種類の記念硬貨の内訳。---- 「国際科学技術博覧会記念硬貨」(昭和60年、7万枚発行)、「内閣制度創始100執念記念硬貨」(昭和60年、7万枚発行、「天皇陛下御在位60年記念硬貨」(昭和61年5万枚発行)、「青函トンネル開通記念硬貨」(昭和63年、2万枚発行)、「瀬戸大橋開通記念硬貨」(昭和63年、2万枚発行)、天皇陛下御在位記念硬貨」(平成2年、3万枚発行)、「沖縄復帰20周年記念硬貨」(平成4年、2万枚発行)、「皇太子殿下御成婚記念硬貨」(平成5年、3万枚発行)、「関西国際空港開港記念硬貨」(平成6年、2万枚発行)、「第12回アジア競技大会記念硬貨」(走る、泳ぐ、跳ぶの3種類、平成6年、各1万枚発行)、「長野オリンピック記念硬貨」(第1次、第2次、第3次の3種類、平成9年および10年、2万枚発行)、「天皇陛下御在位10年記念硬貨」(平成11年、1万5千枚発行)、「1002FIFAワールドカップ記念硬貨」(3種類、各1万枚発行)

Inside Report #006 ------------------------------------------------------

うなぎ登りのアクセス数

「アクセス数どのくらいあるのかしら?」 --- モイラさんから今日(正月2日)質問があった。こちら、突然の問いかけにうろたえて、「そうですね〜、けっこうあると思いますよ」と無責任な答え。「そうね、ゼロじゃ淋しいけど、何人かでもあれば私、嬉しいわ」 --- なんともいじらしいモイラさんの言葉。

不覚にも、実はまだ、こちらアクセス数を把握できる態勢を整えていなかった。ちょっと恥ずかしい。そこで、急遽、アクセス数解析ができるCGIプログラムで、ホストコンピュータのデータを覗いてみた。

「モイラさん、アクセス数わかりましたよ、どのくらいだと思います?」 --- 数時間後、こちら、ころりと恥じを忘れて、ちょっと高飛車。「少ないんですか?」 「少ないと思うでしょ」 「はい」 ---モイラさんの声がややか細くなった。「実はね、モイラさん、すごいんですよ。○万件をはるかに超えてるんです! しかも、データはこの2週間だけなんですよ」注1「ほんとですか?」 --- モイラさんの声がぱっと華やいだ。

いままでいくつもの会社のホームページを立ち上げてきたが、こんなに早く○万件を超えるアクセス数が得られたのは初めてのケースだ。いまこの原稿を書いているこの時間にもアクセス数はどんどん増えている。まさに「うなぎ登り」なのである。

か細い声だったモイラさんは今ごろ楽しそうに「モイラの日記」を書いているのではないだろうか。ま、正月にふさわしいインサイド・レポートをアップロードできたことは、めでたし、めでたしである。 (2004年1月2日記)

(注1)「結城モイラのホームページ」は33日前の12月1日からスターしたばかり。しかし、こちらの怠慢でアクセス数統計は2週間前の12月21日からしか得られていない。したがって、それ以前の3週間分のアクセス数は不明。ごめん、ごめん。

Inside Report #005 ------------------------------------------------------

「癒し系」と言われるモイラ調文体

モイラさんの著書などいろいろ読まれている方は、すでにご存知でしょうが、モイラさんの文章にはどこかほっとさせられるところがある。読む人の気持を和ませてくれる温かさがある。それは、語られる内容もさることながら、独特な文体によるところが大きい。

「です」「ます」「である」調はものによっていろいろ使い分けられているが、共通するのは、一定の文章の流れの中で、時々、ぽっと入れられる「〜なのよね」とか「〜かしら」といった「語り言葉」である。この言葉の入れ具合が、ほど良く実に心地よい。いわば音楽的心地よさに通じるところがある。モイラさんの感性という以外ない。

では、そうした感性はどのようにして養われたのか。モイラさんから以前お聞きしたところを総合的に検証すると、まずは、幼少期における読書の習慣が原点にありそうだ。「小公子」、「小公女」、「家なき子」などの世界少年少女文学全集をむさぼるように読みふけっていたという。中学生時代からは夏目漱石に傾倒し、漱石との関連において他の文学作品も読むという、モイラさん独特の読書歴を持つ。カトリック系の光塩女子学院を経て白百合女子大学国文学科に入学し、同大学を卒業したのも文学への興味と情熱が終始衰えることなく持続していたからだと思える。ちなみに、同大学の卒論も夏目漱石で、「夢十夜の考察」であったという。

そして、20代での作家・故遠藤周作氏との出会い。ここで、氏のサポートもあって占い研究家の道に入る。以来、上梓した単行本はすでに60冊を超えている。占い、おまじない関係の書籍が中心となっているが、童話も3冊含まれる。また、通販雑誌紙上では、写真とのコラボレーションによるポエムも長らく執筆してきた。

したがって、モイラさんの現在の文章には、そうした長い歴史的バックグラウンドがあるとともに、人々に明るくハッピーに生きてもらいたいという強い願いが込められており、それが平易で優しさに充ちたモイラ調文体を生みだしているとみた。

インサイド・レポート#005は、少し硬い話になってしまったが、結城モイラを知るうえでは極めて重要な要素のひとつである。 (2003年12月24日記)

Inside Report #004 ------------------------------------------------------

また言ってしまった、理想論!

「インサイド・レポート#003」をアップロードした翌日、つまり12月14日、モイラさんからさっそく電話があった。「ごめんなさい、更新、けっこう大変なんですね。少しもわからなくて……」「いえ、その〜」「わたし、日記じゃなくて、エッセイにしましょうか、それなら更新毎日じゃなくてすみますよね」「いえ、あの〜」「そうしましょ、そうしましょうよ」

ちょっと、こちら間を置いて、「モイラさん、それはいけませんよ、せっかく始めた日記じゃないですか。更新と言ったって、作業はものの数分ですから、なんちゅうこともありません。大丈夫ですよ。ほら、継続は力なりですよ!」

おやおや、自分でない自分が突然口から飛び出してきて、勝手にしゃべってる。「更新はものの数分だなんて、企業秘密までしゃべったあげく、継続は力? おまえ、格好つけやがって!」こちら心の中で自分を叱る。なのにまた、自分じゃない自分が、「モイラさん、武士に二言はありませんよ。やると言ったらやりますから!」 あらあら、古い言葉なんぞ持ち出しちゃって、もうどうにも止まらない。

「ほんと? 大丈夫ですか?」モイラさんが心配そうに念を押した。「大丈夫ですよ!」----こちら完敗である。(2003年12月22日記)

Inside Report #003 ------------------------------------------------------

言わなきゃよかった、理想論!

このホームページがスタートする前日、つまり11月30日のこと、モイラさんから質問があった。「良いホームページにするには何が必要かしら?」「そうですね、何と言っても更新頻度が高いことが重要ですよ。変化のないホームページじゃ、見る人が飽きちゃいますからね」「じゃ、日記でも書こうかしら?」「それはいいアイデアですね、そうです、理想は毎日更新ですよ!」「はい、分かりました」---ざっと、こんな会話があった。

モイラさんから続けてこんな質問が---「旅行のときはどうしたらいいのかしら?」「ラップトップパソコンを持っていいかれれば、どこからでもメールでOKですし、ファックスって手もありますよ」「いいえ、そちらがご旅行のときは更新どうなさいますか?」「モイラさん、今やインターネット時代ですから、たとえ海外からでも更新は簡単にできるんですよ!」---こちらちょっと鼻の穴をふくらませて言った。

結果はお分かりのとおり、モイラさんからは、12月1日以来、「モイラの日記」は一日も欠かさず送られてくる。考えてみると、日記だから土日祝日はおろか、正月休みもお盆休みもないことに、はたと気付いた。更新作業を引き受けたこちらは、これからどういうことになるのか!? 海外からだって大丈夫と胸を張った手前、出張などという姑息な理由もたたない。

そこで、後日、ある期待を持って言ってみた。「モイラさん、日記と言っても、モイラさんのは『日記風エッセイ』ですから、毎日じゃなくてもいいかも知れません。第一、大変じゃないですか、お忙しいのに、無理をされなくても……」 これに対して、モイラさんからの返答は、こちらの期待に反し、「大丈夫ですよ、仕事の合間に楽しんで書いてますから」---なんで理想論など口走ってしまったのか! その瞬間から、「365」という数字が頭の中でピカピカと点滅している。(2003年12月13日記)

Inside Report #002 ------------------------------------------------------

モイラさんは、いつ眠っているのか?

「更新履歴」を見ればお分かりの通り、更新はほとんど真夜中に行われている。こちらは夜型なので、更新時間はなんの不思議もないのだが、モイラさんからの原稿はたいがい夜中の1時、2時にEメールで送られてくる。それをこちらの都合で3時、あるいは朝方の5時ごろに更新しておくと、かならず「更新ありがとうございました」というメールが更新後わずかな時間のうちに入っている。すなわち、モイラさんは、朝方まで起きていたことになる。そこで電話では迷惑だろうと、昼前にメールを入れる。すると、あら、またすぐに返信が帰ってくる。

不思議だ! モイラさんは、確かに夜も昼も起きている!

そこで電話で訊いてみた。「モイラさんは、いったいいつ寝てるんのですか?」 その答えはシンプルだった。「そうね、わたしは細切れ睡眠に慣れてるの。ときどきうたた寝しては、また原稿書き、それが長年の習慣よ」−−最低6時間の連続睡眠を身上とするこちらにはとても真似のできない睡眠法。おそれいりました! 外見からは想像もつかないハードワークをこなしているモイラさんの隠れた一面がうかがえました。(2003年12月11日記)

Inside Report #001 ------------------------------------------------------

ポプラ社刊(2000年3月)
サイズ:12.5x19.5cm
158ページ
定価: 1,200円(税別)

まずは、この本、必読!

モイラさんと言えば、「近寄りがたい人」、「雲の上にいるような人」、「ほとんど実像がわからない人」などと、非常に遠い存在の人というイメージが強い。しかし、実際にお会いしてみると「なんと気さくな人」、「なんとチャーミングな人」という身近な人のイメージに変わる。

モイラさんらしい面白い話はすでに沢山ある。しかし、それは小出しにしておこう。はじめから断片的なモイラさんの裏話をしたのでは、偏ったモイラ像を創出する恐れがあるからだ。そういう意味から言えば、左の写真の「きっと会えるよ! 新しい自分」という本を読まれるのが、結城モイラを知るうえではまず最適だろう。

この本は、モイラさんの子供時代から思春期、仕事を始めたころまでの実話を紹介しながら、中・高生向けに「勇気を出して明るく生きよう」と呼びかけた自分探しの本であるが、結城モイラの半生を知る上では貴重な著作だ。大人が読んでも、元気がでてくる。

本の表紙カバーの折り返しで、モイラさんは「出会いは私の宝物」と題して、「今、私は、新しい自分に出会ったばかりです。20数年も占いの仕事を続けていた私が、新しい仕事に出会ったのをきっかけに、今まで考えてもみなかった能力やアイディアがわいてくるの。……不思議! 大丈夫! だれにでも、新しい自分に出会えるチャンスはきっとあるはず。いつも夢や希望をもって生きていこうね」と語っている。

2000年3月にポプラ社から出版された本なので、一般書店では取り寄せ注文となるだろうから、次の書籍サイトで購入されることをお勧めしたい。(2003年12月10日記)

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