>>> トップページへ戻る

このページは2006年11月21日〜12月1日の日記です。

>>>日記の扉へ戻る

2006年12月1日(金)

「1」の数字の窓を開いたら丸いチョコが顔を出した

上の写真では分かりにくいが、これは「アドベント・カレンダー」と言って、「1」から「24」までの数字が印刷されてある窓を、12月1日から毎日ひとつずつ開いていくという特別なカレンダーだ。つまり、12月の24日のクリスマスイブまでの毎日を、楽しみながら過ごすという趣向のものなのね。日本の子供たちが「もういくつ寝るとお正月」と歌って、お正月がくるのを指折り数えて待つというのと全く同じ考えだ。

このアドベント・カレンダー、近頃はクリスマスが近づくと、あちこちで売られているので、ご存知の方も多いだろう。私はずいぶん昔、母からプレゼントされたことがあり、当時はほんとに珍しく、その毎日ワクワクする楽しさが、鮮明な記憶として残った。それで、大人になってからも毎年「アドベント・カレンダー」を探し求めては、ひとり密かに楽しんできたのよね。

今年は、11月末に、たまたま入ったお菓子屋さんで見つけて、即、購入した。それが写真のカレンダーで、1から24までの数字の窓を開いていくと、いろいろなチョコレートが入っていて、毎日、それを楽しみに味わうといったもの。このタイプのアドベント・カレンダーは初めてだ。今日、数字の1の窓を開いてみたら、キャンドルが浮き彫りになった丸いチョコレートが出てきて、思わず嬉しくなってしまった。

アドベント・カレンダーは最近は特に、いろいろな種類の物が出回っているが、一般的には、窓を開けると、可愛いお人形や天使、動物などの小さな絵が現れるといったタイプ。ちょっとこったものになると、窓の中に小さな玩具が入っていたりする。

ところで、このアドベント・カレンダーの元々のアイデアは、クリスマスを迎えるまでの4週間を「待降節(たいこうせつ)」または「降臨節(こうりんせつ)」ということからきている。このことを英語では「アドベント(Advent)」と言い、キリストの降誕であるクリスマスを楽しみに待つという、西洋的発想から生まれたものなのよね。だから、もともとは、各家庭の手作りカレンダーがその始まりとか。両親が24個の箱を用意し、子供たちが1番から24番までの箱を毎日開けていくと、両親からのいろいろなプレゼントが入っているといった習慣もあったようだ。とってもステキね。

2006年11月30日(木)

就寝時以外は出来るだけ暖炉の火を絶やさぬようにしている

しばらく止んでいた雪が今日また降り始めた。瞬く間に、まるで花嫁の白いベールが野山や家々を覆い尽くしていくように、見渡す限り白い世界が広がっていく。同時にいろいろな音が雪に吸い込まれるように消えて行く。音もなく舞う雪と静寂。私は今日も暖炉の火を絶やさぬように、仕事のあい間あい間に薪を足し、そのついでにしばし窓外の雪景色に見とれていた。

午後、「ピンポン」と玄関のチャイムが鳴った。お約束のお客様だ。今月18日からオンエアーが始まる「FMニセコ放送局」の局長さんとスタッフ2名の方が肩の雪を払いながら玄関に顔を出された。局長さんとは以前にお会いしたことがあるので、堅いご挨拶はなしでお上がりいただき、さっそく私が出演する番組の打ち合わせに入った。

局側の希望では毎週土曜日の午前11時から11時半までの30分間を私がパーソナリティーを兼ねて一人で出演するというものだった。ただ、現実問題として、私がニセコに滞在している間ならそれも可能。でも、東京に居たり、その他の場所に出かけていることのほうが多いので、出演は電話回線を活用して音声を送るという方法以外は難しい。それには、局側にDJがいて、そのDJとの掛け合いで番組を進行していく方法がやりやすいということになった。

番組構成はこれから詰めることとなるが、大筋では、次の3コーナーで構成する予定だ。ひとつは、リスナーの悩み事相談に私が占いをからめたアドバイスをするコーナー、もうひとつは、次週の星座別運勢ランキングのお話コーナー、最後は、幸せになるための考え方のお話コーナー。年内は12月23日と30日の2回のオンエアーがある。放送エリアが限られているので、全国の皆様には聞いていただけないが、いずれこのホームページでも音声を流せるようなことも考えたいと思っている。

2006年11月29日(水)

出番をじっと待っている雪国の怪物?

雪の多い所でなければ、めったにお目にかかれないようなものというのがけっこうある。雪がまだ本格的になっていない今だから目につくのは、庭木を雪から守るために丸太ん棒で組んだ柵だ。直径10センチ以上はあるかと思われる何本もの丸太ん棒を庭木のてっぺんで縛った状態の柵が、まるで工事現場を思わせる感じで立ち並んでいる。雪が降り始めたら、この柵にネットかシートが巻かれ、内側の庭木は直接雪をかぶらずに、空洞となったスペースの中で春まで保護されるのだろう。

それともう一つ、上の写真のようなひときわ目立つ出で立ちのマシーンがあちこちの家のそそかしこに顔を出し始める。まだ彼らは顔を出し始めただけで、動き始めてはいない。積雪何十センチという段階になってはじめて本領を発揮し始める除雪マシーンなのだ。だから、顔を出しただけで出番を待っている彼らを見ると、じっとその時を待っている怪物のような錯覚さえ覚えてしまう。

もちろんこのレベルの除雪マシーンを所有されているお宅は、商店やレストランを営んでいるとか、ペンションのような施設を経営されているお宅に限られている。それでもけっこう目にすることが多いから、私の想像以上に普及しているのかもしれない。こんなマシーンを初めて見たという方のために、簡単にご説明しておくと、動力はガソリンエンジンで、車輪はあのブルドーザーのようなキャタピラだ。要は、小型の建設機械だと思えばいいのね。

そして、雪をどのように排除してくれるのかと言えば、前進方向の正面に雪を掻き込む大きなスクリューが回っていて、その掻き込まれた雪は細い煙突状の筒に吹き上げられ、10メートル以上も飛ばされる。筒は方向を自由に変えられるので、雪が高く積もってもかまわない空き地へ向けて雪を飛ばせばいいわけだ。今までは、離れた場所から見ていただけの除雪マシーンだが、今年は近くへ寄って、できればちょっと動かしてみたいな?なんて、思っている。

2006年11月28日(火)

ロイヤルブルームーンストーンのリング (モイラジュエリーより )

皆様からいただくメールの中には、ジュエリーやパワーストーンに関するご質問も多い。これも私がジュエリーやパワーストーンのプロデュースをさせていただいている関係だと思う。最近、たくさんの方から「ロイヤルブルームーンストーン」という石についてのご質問が増えている。私自身、この石が好きでたまらず、ここ数年、ロイヤルブルームーンストーンのリングをいつも身につけているのよね。

この石は、上の写真でもお分かりいただけるかと思うが、石の角度を変えながら見ると、透明な石の中から、美しいブルーの光がふわ〜っと浮かび上がってくる。それがたとえようもなく魅力的で神秘的だ。この青い光のシラーが月を連想させることから「ムーンストーン」の名がつけられたのであろう。でも実は、うっとりするようなブルーの光を発してくれる石はそう多くはない。この石のほとんどは白濁していて、ブルーがチラッと見えるのがほとんど。透明度が高くて、ブルーの光がはっきり出るものは、とても数が少なく、集められたブルームーンストーンの中から選りすぐった、まさに希少性の高い石なのだ。だからこそブルームーンストーンの前に、「ロイヤル」という冠をつけることが出来るね。

では、なぜ私がいつも身につけているのかと言うと、それはこの石の外見的美しさに惹かれてというだけではない。女性にとって大変嬉しいパワーストーン効果、つまり「女性にとって最高のお守の石」であると私が信じているからだ。まず、第一に挙げられるのは、心に癒しと安らぎを与え、女性性を高めて、愛にあふれる豊かな生活をもたらしてくれると言われることだ。実はこれは、とても大切なこと。特に働く女性の場合、自分が女性であることをつい忘れて、男性のような考え方、行動パターンをとりがちになる。また、自分でも気づかないうちに、かたくなになったり、愛情とは無縁の生活を送るようになってしまう場合も多いのよね。

私もずいぶん長いこと独身生活を続けていて、私の人生には結婚というページはないものと、思いこんでいた。こんなことを言うと、「自分で占えないの?」と、疑問に思われてしまうかもしれない。でも、残念ながら自分や家族のこととなると、客観的に見ることができず難しい。おそらく、おおかたの占い師さんがそうだと思う。それはともかくとして、そんな私がこの年になって結婚したのは、ロイヤルブルームーンストーンを身につけていたからに違いないと思っている。

さらに、ロイヤルブルームーンストーンには、直感力、潜在能力、予知能力といった感性を高めてくれる働きもある。これもこの石の優れたところだと思う。何故なら、私たちは日常生活において、何かに迷うことが多々ある。「Aにすべきか、Bにすべきか……」とさんざん迷ったあげく、間違ったほうを選択してしまう場合も多い。でも、この石を身につけると、迷いが少なくなり、たとえ迷っても自然に正しいほうを選択できると、私は感じている。

また、中世ヨーロッパでは、ロイヤルブルームーンストーンは旅の無事を祈る石としても珍重された。直感力、潜在能力、予知能力を高めることが、旅をするうえでも必要だと考えられたからだろう。現代の私たちは、この社会で生きていくこと自体が危険をはらんでいる。考えてみると、次の瞬間、何が起こるかわからないといった状況の中にいつも置かれているわけだ。そのことからも、未知なるものの正しい選択力は不可欠と言えるだろう。私は、このような考えもあって、いつも「ロイヤルブルームーンストーン」のリングを指にはめている。

2006年11月26日(日)

「幸せはすぐそこにあるものよ」

最近、読者の方からいただくメールに「どうしたら幸せになれるのか、そのコツを教えてください」という内容のものがとても多い。それは、私が「女性自身」のウエブサイトで「モイラの幸せの法則」という連載を今年の8月から始めた関係もあるかと思う。昨日も、27歳のOLの方から「モイラ先生がテレビで話されたことやホームページで書かれたことを実行していますが、本当に幸せになれるのか自信が持てません。もし、幸せになれるコツのようなものがあればお教えください」という主旨のお便りをいただいた。今日の日記では、そうした疑問をお持ちの方々へお返事をしたいと思う。

確かに「私は幸せになれるのだろうか?」という疑念を抱いたその瞬間から、どんな人でも幸福への自信が揺らぎはじめてしまうのですよね。ですから、まず、第一のコツは「幸せになれることを心から信じて疑わないこと」なのです。「私は幸せになれる」という願望を、喜びの気持ちを持って自分自身に強く言いきかせることが大切ですよ。そうすると、あなたの心と、その心が結ぶ世界に不思議なことが起こります。あなたの願いはあなたの考えも及ばない潜在意識の世界につながって、その結果、人智を超えたパワーの恵みが、あなたの願いどおりの幸せへと導いてくれるのです。

ここまで聞くと、これは特定の宗教の教えではないかと訝しがる方もあるかと思いますが、これは全く宗教ではありません。古今東西、多くの人々が身をもって体験している真理なのです。もちろん、私自身もこうした真理を何回も体験してきたからこそ、今、こうして皆様に、確信を持ってお話しできるのです。ここで大切なのは、先にも触れましたが、「決して疑わない」というコツです。疑念が芽生えると、ネガティブ思考のスパイラルに入り込んでしまい、終いには「私はきっと幸せになれない」という否定的な結論にたどりついてしまうのですよね。

それともう一つ重要なコツがあります。それはあるがままの現在の自分を受け容れる勇気を持つこと。こんなことをお話しすると、あなたは「現在の自分を捨てて、幸せな自分になろうとしているのだから、現在の自分を肯定できないのは当たり前ではないか」と思われるかもしれませんね。でも、それは間違いですよ。現在の自分があってこそ未来の自分があるのですから……。もし今、ご自分にたいへん重荷なことがあって、それが辛くてたまらなくても、それは「自分を成長させるための修行」だと考えてくださいね。そうすると、いままで忌まわしく思っていた事柄から、精神的にどんどん解放されていきますよ。人生には次から次へと数々の問題が起こってきます。人間関係、仕事、恋愛、お金などなど。でも、どんな問題でも、それがたとえようもないほどの苦しみを伴っていても、その問題から逃げずに、しっかりと受けとめましょう。すると、そんな自分が愛おしく、誇らしく見えてきますよ。

これは、繰り返し何回もお話ししていますが、私もかつて、悩み苦しんだ経験がたくさんあります。でも、悩み苦しんだ全ての経験が、今では私の大きな宝物なのです。あのときの、あの日の、あの場面の苦しみがあったからこそ、今の幸せがあると思えることがたくさんあります。ですから、幸せを単に表面的に求めるのではなく、ときには「人間として今、自分は何をなすべきなのか」を深く考えてみてくださいね。

2006年11月25日(土)

親から子へ、子から孫へ、誇りある家業の継承 (写真はイメージ)

総務省が公認している電波産業会というところから、もうだいぶ以前に地上デジタル放送開始に向けて、「現在家庭にあるアナログテレビのチャンネルを再設定する必要がある」という連絡を受けていた。専門の技術者が各家庭を訪れて設定するので、私のようにニセコに居たり居なかったりする場合は、先方とこちらの都合がなかなか難しい。

それでも、この地域の場合は来年の1月末までにその工事をしておかないと、現在のアナログテレビではテレビ放送が見られなくなってしまうとある。そこで今回は、札幌にある北海道総合通信局に電話を入れ、こちらの事情をお話した。すると、ご親切に一両日中に担当の工事会社から連絡をさせますというお返事だった。それが、早くも工事車両に乗った二人の担当者が、今日我が家を訪ねてこられた。

てっきり地元の電気工事会社が委託を受けてのことだと思い、「この近くの方ですか?」と訊ねた。「いえ、札幌からです」と答えが返ってきて、ちょっと驚いた。札幌からニセコまでは2時間半はかかる。札幌市内を抜け定山渓を過ぎてからは、信号は数えるほどしかないので、皆、だいたい高速道路並みの速さで走る。それでもそんなにかかるのだ。北海道の人たちの「距離の感覚」、「時間の感覚」は、東京の人間とはまるで違う。100キロ程度なら、いとも簡単に引き受けてしまう距離なのね。

でも、私は今日の日記で書きたいのは、この二人の技術者のことだ。訊いて納得したが、二人は親子なのだ。お父さんと息子さん。見ていると、お父さんはほとんど作業はせずに、息子さんのやっているのをじっと見つめているだけ。息子さんは黙々とテレビのチャンネルの設定を行っている。「いい息子さんで、頼もしいですね」私はお世辞ではなく、思ったままを言った。「いや、まだまだ……」お父さんの顔はそう言いながらもほころんでいた。

今は、商店や小所帯の会社、職人さんや、きょうのような専門職の技術者さんなど、親が築いた商売を、その息子に託すという良い意味での世襲制がどんどん失われていっている。もしかすると、この「世襲制」にこそ「家族の絆」や「家族の復権」というものが息づいているのではないかと、ふと思った。親の生き様を子が見つめ、親にたいする尊敬の念が芽生えたとき、子は親の仕事を継ぐだろう。とすると、世襲の崩壊は子の親への失望が大きな原因となっているのかもしれない。日本の教育の問題が論議されている昨今だが、子供をどう教育するかという前に、私たち大人が子供に尊敬されるお親でなければならないのよね。

2006年11月24日(金)

長旅を終え、ニセコの住民になった「アンディ」と「マリー」
二人の身長は約40cm

11月14日の日記で、伊豆高原の「人形の美術館」館長さんの中島幸子さんから、お人形さんをいただいたというお話をした。「アンディ」と「マリー」という名前のついた男の子と女の子のお人形で、「この子たちがモイラさんのところへ行きたがっていますから……」という温かいメッセージが添えてあった。この日記で、私はいずれ二人ともニセコの家に連れて行くつもりだと記した。すると昨日のこと、日記を覚えていてくださった読者の方から、「アンディーとマリー、日記で早く紹介してくださいね」というメールが届いた。きっと、お人形さんが大好きな方なのだろう。

上の写真の可愛い二人が「アンディー」と「マリー」。私はこの二人を仕事机のすぐ近くに座らせて、仕事のあい間あい間に話しかけている。「アンディ、何かお話ししたいの?」「マリー、そろそろお茶にする?」「外は雪よ、二人とも雪は初めてでしょ?」等々。 お人形さんとの付き合いでいつも感じることだが、話しかければ話しかけるほど、お人形さんの表情は豊かになり、明るくなる。「アンディー」と「マリー」の場合もまったく同じ。二人が新宿に届いて、初めて箱を開けたとき、アンディーは私にニッコリ笑いかけたように見えたが、マリーはぜんぜん違っていた。まるで緊張しきったように、こわばった表情をし続けて、「おやおや、これで、ニセコへ連れて行って大丈夫かしら?」と私は思わず心配をしてしまった。

そして、ニセコ。マリーはまた、緊張の表情なのだろうと想像しながら、二人の箱を開けた。するとなんとまあ、マリーがニッコリ笑顔で現れたのよね。アンディーは言うまでもなく、大ニコニコ! 早速、書斎に座らせると、まるで何年も前からそこにいるかのように、落ち着いた、しかも楽しげな表情で収まってしまった。それ以来、二人はときどき、私に語りかけるような表情を投げかけてくる。

人によっては、人形は単なる人形という物体に過ぎないのだから、表情が変わることは絶対にないし、変わったように見えたとしたら、それはその人の思い込みだとおっしゃると思う。確かにそう考えることのほうが問題もないし、理解もしやすい。でも、私は、こうした問題にはいつもほんの少しだけでも、「非科学的」という「夢」を残しておきたい。「天使」や「妖精」を受け入れる感性につながる「夢」と同じにね。

「人形の美術館」は ⇒ こちら

2006年11月23日(木)

雪の季節の序曲が始まった

「きっと明日は、一面の銀世界だろう」と締めくくった昨日の日記のとおり、窓から見える景色は白一色となった。でも、この程度の雪は、この地の雪のほんの序曲。本格的になれば、平屋建ての場合は、屋根の雪と敷地の雪がつながってしまうほどになる。我が家はゆるやかな勾配のある土地に建っており、道路に面した表はリビングが2階の高さになり、裏側は普通の1階の高さだ。だから、裏側の窓は完全に雪に埋もれてしまうし、大雪の年には、表の窓でさえ雪で覆われそうになる。

当然、ガレージ前のアプローチや玄関に至る外階段部分は、ここで生活する以上、毎日、ときには日に何回も雪かきをする必要がある。幸い、私の家の場合はこの一帯を開発した会社の管理事務所が、毎日、ブルドーザーなどで除雪作業をしてくれるので、とても助かる。雪に閉ざされて身動きができなくなるという心配はまずないのよね。

雪に関しては、この日記でおいおい詳しいレポートができると思うが、ここニセコの雪は東京の雪とはまったく異なり、いわゆる「パウダースノー」だ。わかりやすく言うと、雪の玉を作ろうと思って、手で固めようとしても崩れてしまうほどサラサラしている。こうした水分がきわめて少ない雪を気象用語では「乾雪」と言う。したがって、雪の粒子が細かいために、風によく舞う。人が歩いた足跡のへこみも、風によってならされ、短時間のうちに跡形もなくなってしまう。まるで、砂丘の変化を見るようだ。

昨年のちょうど今頃だった。街のスーパーマーケットにあるクリーニングコーナーの年配の店員さんと話していたら、「冬は東京に戻られるのでしょ?」と訊かれた。「いいえ、できればこちらで……雪が好きですから」私は正直に答えた。「珍しいね、スキーでもなさらなければ、雪は大変なだけでしょ」私はハッとした。雪と戦いながら長い冬を過ごすこちらの人と、私のように雪かきもしないでときどき東京からやって来る人間とでは、その覚悟が根本的に違うのだ。私が、「ニセコは私の第二の故郷」と言えるようになるには、まだまだ修行が必要ね。

2006年11月22日(水)

いつまでも見つめていたい暖炉の炎 (ニセコの我が家)

天気予報のとおり、夜半から雷が鳴ったり、荒々しい風が家の外壁を叩きはじめた。寒冷前線が通過しているためだ。そんな中、朝まで原稿執筆をしていた私は、お昼近くに入った電話のベルで目を覚ました。窓のカーテンを開けると、明るい陽射しがなんとも心地よい。と、思いきや、半時もしないうちに、温かな陽は雲に奪われ、粉雪がひらり、ひらりと風に舞い始めた。

「モイラさん、タイヤ交換終わったよ」独特のイントネーションの声とともに、突然、地下室の階段からご近所のペンションのオーナーさんが、一階のリビングへ上がってこられた。昨夜、自宅に帰る前に立ち寄ったペンションのオーナーさんだ。その際、「雪になる前にスタッドレスタイヤに換えなければだめだよ」とアドバイスをくださり、ご親切にその交換を手伝ってくださると言ってくださったのだ。ところが今日、こちらが気付かないうちに、ジャッキーなどの工具を持参して、地下のガレージで、お一人でタイヤの交換をしてくださっていたのだ。

ここニセコでは、このような親切は日常的なことで、私はいつも周囲の方々から助けられて生活している。本当に心から有り難いと思う。それにしても、オーナーさんのタイヤ交換は絶妙なタイミングだった。「いよいよ雪だな〜」とオーナーさんが、リビングの窓から外を眺めて、半ば独り言のように語尾を伸ばして言われた。私もその言葉に誘われて窓外に目をやった。すると、どうだろう、外は、突然、白いカーテンを降ろしたように白一色で覆われている。「そうですね」私もオーナーさんの言葉からだいぶ遅れて独り言のようにそう言った。

この会話の流れの中で、私はオーナーさんの言葉から言葉以上のものを受け取っていた。「いよいよ雪だな〜」というオーナーさんの声音には、北の国で長年生活してこられた人でなければ、とうてい言えない万感の思いが感じられる。おそらくオーナーさんの脳裏には、来年春まで続く、雪との長い戦いの日々への覚悟と同時に、それをしっかりと受け容れ、雪と共に日々を生きる決断があるのだろう。東京人の私が「雪だ、雪だ」とまるで、雪を大歓迎の客人のように喜ぶのとは違う。自然との厳しい契約の上で命をつないできた雪国の人だけが言える、独特な抑揚の「いよいよ雪だな〜」なのだ。

オーナーさんがお帰りになってから、私は薪を暖炉に運び、火を入れた。暖炉の中で、この冬初めての「冬の火」が燃え上がる。窓の向こうはしきりに雪、いつの間にか日が暮れている。部屋の灯りを少し落とし、肘掛け椅子に身を任せて火を見つめていると、時間がゆったりとしてくる。きっと明日は、一面の銀世界だろう。

2006年11月21日(火)

この建物の奥に「1億円のトイレ」がある

きのうの夕方、茨城県の大洗港からフェリーに乗って今日の昼過ぎに苫小牧港に着いた。いつもの習慣で、乗船するとすぐに酔い止め薬を飲んだ。この酔い止め薬には睡眠薬のような作用があるのか、小一時間で睡魔が襲ってくる。いつものパターンでは、船内のレストランで夕食を終えると、シャワーを浴びるのがやっと。半分眠りながらベッドに倒れ込み、朝まで熟睡となる。ところが、昨夜はなかなか寝付けなかった。というのは、低気圧の関係で、船がかなり揺れたからだ。船内放送で5メーターの高波なので、「歩くときやドアの開け閉めには、じゅうぶんお気をつけください」と何度も言っていたが、確かに真っ直ぐ歩いているつもりが、タタタッと端に押しやられてしまったりする。

ベッドに横になってからも、右へ左へと体の重心が移動させられる感じになったり、体が宙に浮くようになったり……。部屋の壁は絶えずギシギシ言うし、突然にダダン!とか、ドドン!とか、激しい音もして、何とも騒々しい。これって、船酔いしやすい人にとっては地獄だと思う。私は酔い止め薬のお陰で、苦しむこともなく、眠れない辛さはややあったけれど、この揺れをちょっぴり楽しんでいたのよね。

そうこうするうちに、明け方に。室内のテレビで船の現在位置を確認すると、岩手県沖を航行中。いくらか波が穏やかになってきたらしく、船も落ち着きを取り戻した。「やっと静かになったわね」と心の中で思ったとたん、睡魔に襲われて、目が醒めたら午前10時過ぎだった。窓から海原を見ると、いつもの海とは違って、三角にとがった波が続いていた。昨夜の海は漆黒の闇で見えなかったのだが、きっともっと荒々しい波だったのだろう。

苫小牧港に着岸し、下船すると思いの外寒くはなかった。それでもこの季節の天候は変わりやすい。ニセコまでの道のりは山越えなどもあるので、どこにも寄らずに一路ニセコへと車を走らせた。苫小牧・ニセコ間は約100キロメートルあって、途中、支笏湖を右手に眺めながらの山道が続く。今日は、予想どおりで、山道に入ると天候はどんどん怪しくなり、まだ午後の3時だというのに夕方のような暗さ。おまけに雨まで降り出し、ヘッドライトなしでは危ないといった状況になった。

それでも山道をやや下ったところに道の駅「フォレスト276」という巨大なログハウスがあるので、ここで一休み。ここの「売り」はなんといっても「1億円のトイレ」があることだ。まさに「1億円のトイレ」という大きな看板まであるので、これが自慢なのだと思う。確かに、お化粧室の入り口にはステージがあり、そこにグランドピアノが置かれ、自動演奏されている。さて、中に入ると……。最近は、あちこちのお化粧室が綺麗になったせいか、それほど感激とまではいかないが……。でも、このトイレが建設されたのは15年以上も前だから、当時はそれは見事だったに違いない。

ニセコへは午後の6時ごろ到着。ラジオの天気予報では、明日あたりからシベリア寒気団が南下してくるので、本格的な雪の恐れもあるという。もしも、買い物へも出られない状況になったら大変なので、家に着く前にスーパーへ直行。4日分くらいの食料をたっぷりと買い込んだ。

まあ、こんな具合でニセコの第一日目がスタート。できるだけ面白い発見をして、楽しい日記にしていけたら嬉しい。

>>>11月10日〜11月19日の日記へ

>>> トップページへ戻る


結城モイラ ホームページ 2003(C) Moira Office. All rights reserved.